東日本大震災で過去最大・最長期間の災害医療に従事、NPO法人TMAT・橋爪慶人理事に聞く
--本吉地区ではどのような医療活動を続けてきましたか。
本吉病院で診療に従事するとともに、地区内の避難所や介護施設への巡回診療も続けてきました。本吉病院では震災後にもう一人の医師が体調を崩し、療養のために病院を離れました。その結果、院長一人となってしまいました。TMATが支援したとはいえ、それまでの心労がたたったのか心が折れてしまい、院長は辞表を提出してしまいました。現在は現地の医師が不在状態で、TMATの医師がすべての診療を肩代わりしています。
本吉病院で活動するTMATメンバー
--南三陸町や気仙沼市、大船渡市での診療はどのようなものでしたか。
南三陸町でも真っ先に入った外部の医療チームとして地元の医師と協議しながら他の医療チームの統括を行っています。診療は、ベイサイドアリーナ(体育施設)内に設置された救護所での診療に従事してきたほか、巡回診療では避難所だけでなく、戸別訪問も行いました。
気仙沼市階上地区では階上中学校や面瀬中学校に設けられた救護所で診療に従事。大船渡市では、リアスホール(市民文化会館)をベースに猪川地区の診療にたずさわりました。
南三陸町で活動するTMATメンバー
TMATが診療拠点を置く南三陸町のベイサイドアリーナ(総合体育施設)
--今後の活動の方針は。
現地の医療態勢立て直しに一定のメドが立ってきた地区ではすでに撤収しました。大船渡市からは3月31日に、階上中学校でも地元の開業医の先生が診療を開始するのに合わせて4月3日に撤収を完了しています。この2カ所では、阪神・淡路大震災や新潟中越地震での経験が役立ちました。