では、これがインフレ率の日米の違いにどう影響しているのか。
日米の差が出る「2つの要因」とは?
それは、日本の統計担当者がバカ真面目すぎるのに対して、アメリカは、いい加減すぎるからである。つまり、例えば、日本にやってきた英米人が、日本の「キットカット」(スイスに本拠を置くネスレ社のグローバル商品)が他国と比べて異常に種類が多いことに驚いた、という記述が、渡辺努教授の著書の中にエピソードとして出てくる。
このとき、日本の物価担当者は、いつまでもオリジナルのキットカットの価格を追い続けている。しかし、消費者はニューバージョンや抹茶、いちご、あるいはさまざまなご当地モノのキットカットに目を奪われる。だから、オリジナルのほうは競争力が落ち、価格は下落傾向であるか、あるいは永遠に上がらない。また供給側も、事業も製品もできる限り継続するから、オリジナルのものはなくならない。だから、キットカットの物価は上がらない。
一方、アメリカでは、効率化のために、魅力が相対的に落ちた(と消費者が感じ始めた)オリジナルを早々に打ち切り、次のバージョンを標準として打ち出す。もちろん価格は新モデルで、ナイキのシューズやスマートフォンのように、値上げをしっかり織り込んでくる。
このとき、市場で最も多く売れているキットカットは「バージョン2」であるから、統計担当者はこちらを継続商品として指定し、昨年の「バージョン1」の昨年の価格と今年のバージョン2の今年の価格を比べて「キットカットは値上がりした」とするのである。実際、実質的にはほとんど変わっていないから、それはそれで正しい。しかし、インフレは起きていることになる。
これが、経済全体で全面的に起きているのである。
上述の議論をまとめると、企業の価格設定行動の実際として、日本はアメリカよりも価格設定が引き上げられない。だから、インフレ率は相対的に低くなる。第2に、計測の現実における考え方(というより感覚か、あるいは文化?)の些細な違いから、計測的な差異が生じ、日本のインフレ率は低く出ることになる。この2つが相まって(実際、第2の統計的な差は、第1の行動的な差が基で生じている)、日本のインフレ率の統計はつねに相対的に低く出るのである。
さらに、上述の状況から少し議論を発展させると、日本におけるぜいたく品、エンターテイメント財は、欧米のそれらに比べると、必需品的なものが消費者にも好まれ、供給側からも選択されがちであることが推測される。したがって、革新が起きていても、価格はそれほど上がらないことになるのである。これもさらに日本のインフレ率を低くする。
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