実は誕生から2世紀、「モノレール」知られざる歴史 初期は馬や蒸気機関車で運行、日本初はいつ?

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こうして、モノレールの規格が次々と登場すると、これを統一しようという動きが出てくる。日本モノレール協会は、1967年度に運輸省船舶技術研究所より委託を受けて「都市交通に適したモノレールの開発研究」に取り組んだ。同研究は、都市交通機関としてモノレールを採用する際の諸条件の決定と、これに適合する軌道、車両、電気および関連施設の基本設計を行うことを目的とし、さまざまな型式のモノレール技術の中から、跨座型に関しては、日立アルヴェーグ式の改良型である日本跨座式、懸垂型に関してはサフェージュ式を都市モノレールの標準仕様として採択した。

そして、この研究成果の活用と検証の意味も含めて建設されることになったのが、1970年3月に開幕した日本万国博覧会(大阪万博)会場を周回するモノレール(日本跨座式)と、湘南モノレール(サフェージュ式)だった(2023年6月16日付記事「湘南モノレールは『海岸』まで延びる予定だった」)。

こうした動きと並行して、日本モノレール協会は、モノレール関連立法を進めるために国会への働きかけを行い、1969年11月11日に都市モノレール建設促進議員懇談会が発足した。翌1970年4月9日には、同懇談会における意見の取りまとめとして、運輸、建設、自治、大蔵の4大臣に対し、都市モノレール建設の促進方を要望した。その結果、当時、建設省に新設された政策課において、モノレールを都市交通機関として採用することの是非が検討されることとなり、これまでモノレールに対して消極的だった建設省の姿勢が、モノレール問題に前向きに取り組む方向へと変わっていったのである。

モノレールの建設は「頭打ち」に

こうした霞ヶ関における情勢の変化や、万博モノレールと湘南モノレールの運行実績(安全性や都市交通としての実用性)、各地でのモノレール法制化へ向けた要望の高まり等を受けて、1972年11月に、都市モノレール整備の円滑化のための財政措置、道路管理者の責任等を定めた「都市モノレールの整備の促進に関する法律(都市モノレール法)」が制定された。

北九州モノレール
「都市モノレール」の第1号、北九州高速鉄道(北九州モノレール)(写真:kamekichi/PIXTA)

そして、法律制定から13年後の1985年1月には、北九州高速鉄道(北九州モノレール、または小倉モノレール)が開業し、都市モノレールの第1号になった。その後も、千葉、大阪、多摩、沖縄など各地でモノレール路線の建設が進められた。しかし、新交通システムやLRT(次世代型の路面電車システム)、BRT(バス高速輸送システム)など、都市交通の他の選択肢が台頭したことから、既設路線の延伸をのぞけば、現在、モノレールの建設は頭打ちとなっている。

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森川 天喜 旅行・鉄道ジャーナリスト

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もりかわ あき / Aki Morikawa

現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)。2023年10月~神奈川新聞ウェブ版にて「かながわ鉄道廃線紀行」連載開始

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