実は誕生から2世紀、「モノレール」知られざる歴史 初期は馬や蒸気機関車で運行、日本初はいつ?
また、ほぼ同じ時期に、地方鉄道法によらない遊戯施設扱いではあるが、懸垂型モノレールらしきものが実際に建設され、ごく短期間ながら運行された例もあった。1928年に大阪市の天王寺公園で開催された「大礼奉祝交通電気博覧会」の各会場間を結ぶ目的で敷設された「空中電車(懸垂飛行鉄道)」がそれである。この空中電車は、わずか5日間のみ運行され、博覧会閉幕とともに撤去されるという、まさに幻のような運命をたどったモノレールだった。
戦後になると、1951年に、豊島園に懸垂型モノレールが登場している。このモノレールは直径60mの円形線路を平均時速7.5kmで走行するもので、やはり子ども用の遊戯物として設置されたものだったが、「空飛ぶ電車」として報道され、人気を博したという。
モノレールが日本で注目された理由
前述したヴッパータールのモノレールが建設された後、その後の半世紀の間は、ブレナン式のような実験的なものや遊戯物を除けば、世界中のどこにも本格的な交通機関としてのモノレールが建設されることはなかった。その理由としては、1本レールのモノレールよりも、より安定性の高い2本レールの通常の鉄道が敷設できるのであれば、あえてモノレールを建設する必要性がなかったことや、自動車輸送の隆盛などが挙げられる。
ところが、戦後の高度経済成長期に、諸外国と比べて道路の許容量の面で十分とは言いがたい我が国において、自動車の激増によって麻痺寸前に追い込まれた都市交通の解決策として、モノレールが再び脚光を浴びるようになったのである。他の選択肢として地下鉄もあったが、地下鉄建設には巨額の費用(浅草線は1kmあたり当時の金額で45.3億円)を必要とすることから、その対象を幹線交通路に絞らざるを得ず、地下鉄を建設するほどの需要が見込めない路線の新たな交通手段として、建設費が低廉なモノレールが期待されたのである。
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