広末涼子「不倫される妻」役が真骨頂であるワケ 騒動後の「らんまん」は真逆の病弱な母役で登場

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筆者は、広末の出演作はどうあるべきかという某ネット媒体の取材に、いい演技を見せてくれるなら構わないと答えた。

『らんまん』での広末の演技については、出番が短いながら、印象的ではあった。短い分、母の物語があまり描かれていないとはいえ、子どもへの慈愛のようなものは感じることができたし、なんといっても華があるという点では起用される意味があったと考える。

ただし、じゃあ、広末涼子は演技派かといえば、良くも悪くも、スーパーアイドルだったという印象のまま脱皮できていないように思う。だからこそ、好感度が先に立ち、それを裏切るような私生活への批判が噴出してしまうのだろう。

広末の「浮気される妻役」は実に味わいがあった

だが1作、俳優というよりはタレントという印象のある広末の存在感に目を見張った作品がある。『あちらにいる鬼』(廣木隆一監督)である。

2022年11月に公開された映画で、作家で僧侶の瀬戸内寂聴をモデルにした主人公を寺島しのぶが演じた。瀬戸内寂聴が同業者で妻子ある井上光晴との7年にもおよぶ道ならぬ恋をした、その情念の物語を題材にして、井上の長女で直木賞作家の井上荒野が書いた小説を映画化したものだ。

光晴をモデルにした人物を豊川悦司、その妻をモデルにした役を広末が演じた。この浮気される妻役が実に味わいがあってよかったのである。寺島しのぶと豊川悦司という名優の圧倒的な情感にかき消されることない存在感を放っていたのだ。

広末が演じた妻は、実によくできた人物で、作家である夫を支えている。それはいわゆる妻としてだけではなく、夫の作品にも関わっているのである。本当は彼女にも才能があるかもしれないにもかかわらず、夫の作家活動を陰で支えている。夫の浮気相手は、彼の才能を尊敬している作家であり、その彼女は作家としてメキメキ頭角を現していく。妻はどれだけ忸怩たる想いを抱えていただろうか。

妻の抑圧された想いを、実生活では浮気相手のほうの立場になってしまった広末涼子が見事に演じていたことは、今思えばじつに皮肉である。

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