70歳「人生1勝9敗」の私が野球少年に見た覚悟 小説『おかげで、死ぬのが楽しみになった』第1話(6)

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「払いすぎてた努力が、人生の節目にがばっと報われるんだ。神様だって、いつかは気づくだろ。『やばい、引間さんから努力をもらいすぎてた』って」

「だったら、努力してた時に報いればいいだろ」

「そりゃ酷じゃん。毎日、人間たちから、膨大な数の『努力申告書』が送られてくるんだ。全部やろうったって無理だから、目についたやつからやるしかない。いくら残業しても終わらない。天国なのに地獄だろうなー」

巣立は眉を寄せ、天井を仰ぎ見た。

「天国の労働環境まで慮るなんて、巣立は心が広い」

「夜空なみに、広いだろー」

「ああ、夜空なみだよ」

自分のことで精一杯の私とは、大違いだ。

横のテーブルの学生たちに、生ビールのおかわりが運ばれてくる。彼らの方が後に注文したはずだが。

努力の年末調整

「求めりゃすぐにご褒美が与えられるわけじゃない。そのほろ苦さこそが人生の味わいよ」

巣立は空のジョッキを手に続ける。

「ただ、必死にがんばってきた分、すげえのを期待していいと思うぞ。遅れた期間の利子とかもバンバンつくだろうし」

「適当に言うな」

「先のことだから適当に言えるんだろー」

巣立は高校時代と変わらず、ニヤニヤと口もとをゆるめた。

ざらざらと心がささくれ立っていく。この歳になっても、人生に期待を抱く巣立を目の当たりにすると、引け目しか感じなかった。私はこぼれそうになった否定の言葉をビールで流し込み、「相変わらず、生きるのが楽しそうだな」と返す。

「そりゃ、死んだような顔で生きるのはもうごめんだよ」

「昔のことも適当に言うな。出会った時からニヤニヤしっぱなしなくせに」

巣立は大げさにかぶりを振って、「今のオレがいるのも、皆様のおかげですから」と見え透いたお世辞を口にした。

「じゃあお返しを期待しておこう」

私の冗談をまともに受け取ったのか、「引間がニヤニヤするためなら、なんだってするさ」と巣立は鼻息を荒くする。

「今更だ」私は首を振る。「情熱は一度冷めると戻らない。特にこの歳になるとな」

最近は、星を観たいとも思わなくなった。

「冷めたら、追い焚きがあるだろ」

食い下がる巣立に、「風呂水じゃないんだから」と苦笑が漏れる。

「年末調整が来世払いにならないように、私はせいぜい生き延びるとするよ」

「じゃあオレが先に死んだら、神様の事務手続きを手伝っておくわ」

巣立は卒業の日と同じように、責任感たっぷりに無責任な発言を放った。

「ごちそうさま」

煮物を食べ終え、箸を置き、ベランダに出た。空の青さに顔をしかめる。巣立も結局は、誰かを応援できず、後悔しながら死んだ。努力の年末調整は間に合わなかったのだ。

私は太陽光の陰に隠れてしまった星たちに対して、「せめて、来世では努力が報われますように」と願う。しかし、ウィスパーボイスの私の願いなど、天には届かないだろう。

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