その懸命な外交活動により、徐々に国際社会のウクライナ支援が拡大している。すでに触れた戦闘機F16の供与は、その1つの重要な証左といえる。チャーチルにとっても、ゼレンスキー大統領にとっても、戦争に勝利するための鍵は、その外交力によって幅広い国際的連携を確立することだ。
1942年2月9日のラジオ演説で、チャーチルは次のように述べていた。「武器を与えてほしい。そうすれ我々が仕事を片付ける」。おそらく、現在の戦争においてゼレンスキー大統領も、同様の認識を持っているはずだ。
2022年12月23日のワシントンの連邦議会上下両院に対して、ゼレンスキー大統領は次のように述べている。「私たちには武器があり、感謝しています。それは十分でしょうか? 正直なところ、十分ではありません」。
そして、「バフムトを守るためには、より多くの大砲と砲弾が必要です」と述べた。かつてのチャーチル同様に、ゼレンスキー大統領もまたアメリカに対して「武器を与えてほしい」と求めている。
ゼレンスキー大統領は、自らをチャーチルに重ね合わせることによって、イギリスやアメリカの世論を味方に付け、また勝利への確かな道筋を示しているのかもしれない。また、チャーチルが日本の真珠湾攻撃と、アメリカの参戦をもって、戦争の潮流が大きく変化したと感じたように、ゼレンスキー大統領もG7広島サミットへの対面参加、さらにはこの反転攻勢の開始をもって、戦争の潮流を逆転させたいのではないか。
ただしまだ、勝利への道のりは確かではない。
ウクライナの反転攻勢が成功するために
国際社会のウクライナへの支援が無限に続くわけではないし、時間とともに支援国の国内での批判や不満も拡大していくであろう。ウクライナが、勝利の見通しとその道程を示すことができなければ、対ウクライナ支援や、対ロシア制裁は、時間とともに緩やかに後退していってもおかしくはない。
だからこそ、戦争勃発から年以上が経過して広島でのG7サミットと、リトアニアでのNATOサミットが開催される狭間のこの時期に反転攻勢を開始して、軍事的な成果を国際社会に示すことによって、ウクライナへの支援の継続を確かなものにしたかったという政治的な動機があったのだろう。
日本もまた、G7広島サミットで岸田文雄首相がゼレンスキー大統領と対面での会談を行った際に、自衛隊が持つトラックなど100台規模の車両を提供することを伝えている。また、「ウクライナ復興は貢献の柱」として、5月15日に首相官邸で「ウクライナ経済復興推進準備会議」の初会合を開催して、日本はウクライナ復興で指導的な役割を担う意気込みを示している。
30年ほど前の湾岸戦争の際に、日本は平和や安全の回復のための積極的な貢献を示すことができなかった。だが、日本国憲法前文では、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という国際協調主義の精神が刻まれている。
だとすれば、現在の日本のウクライナ支援、そしてウクライナ復興へ向けた具体的な措置は、憲法が本来擁していた国際協調主義に基づいた平和主義の精神の1つの体現であるというべきであろう。
(細谷雄一/API研究主幹、慶應義塾大学法学部教授)
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