JR上野駅、途中駅になった「北の玄関口」の存在感 夜汽車発着でにぎわった昔、今は新駅舎で注目

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そうした光景が上野駅で見られた理由は、上野駅から北関東・信越・東北各地に向けて特急列車が多く運行されていたことに起因している。だが、上野駅に東北・上越新幹線が乗り入れた1985年から、少しずつ過去のものとなっていった。上野駅発の特急列車や夜行列車が歳月を経るごとに廃止されていったからだ。

国鉄は当初、上野に東北・上越新幹線の停車駅を設置する意思はなく、東京駅発着で計画を進めていた。地元・台東区は上野駅のにぎわいを喪失させないために新幹線停車の誘致活動をしていたが、世間は東京駅と上野駅という短い区間に2つも新幹線駅はいらないと冷ややかな反応だった。

国鉄が翻意して、上野駅に新幹線を停車させる方針にしたのは、東京駅までの建設工事が計画通りに進んでいなかったことが大きな理由だった。上野駅―東京駅の間にある神田付近は二重高架になるため、周辺住民から強烈な反対が起きていた。国鉄は建設工事に取りかかれずにいたため、その影響を最小限に抑えるべく上野駅に新幹線を停車させる決断を下す。広島県の三原駅を参考に、国鉄は準備を進めた。

「通過駅」になった上野の今後は

期せずして上野駅は新幹線の始発駅となるが、その恩恵は長く続かなかった。上野駅発着だった新幹線は、1991年に東京駅まで乗り入れた。

さらに2001年には、湘南新宿ラインが運行を開始。これにより東北本線・高崎線の一部の列車が上野駅を経由しなくなる。ダメ押しとなったのが、2015年の上野東京ラインの開通だった。2015年には寝台特急の「北斗星」、翌年には「カシオペア」が定期運行を終了。それも上野駅の地位を低下させることにつながった。

時代とともに、上野駅は北の玄関口としての印象を薄くしてきた。いまや石川さゆりが歌った『津軽海峡・冬景色』に描かれた上野駅はない。他方で、近年は家族連れや訪日外国人観光客でにぎわうようになり、これまでとはひと味違った活気にあふれている。

2020年には上野公園に通じる公園口駅舎がリニューアルされ、細長いルーバーと呼ばれる羽根板を多数使って周辺の景観に溶け込むような工夫が施された外装デザインに生まれ変わった。同駅舎は国内初となる意匠登録された鉄道建築物になった。

上野駅公園口駅舎
2020年に新装した上野駅公園口駅舎。同駅舎は国内初となる意匠登録された鉄道建築物だ(筆者撮影)

今後はターミナルという動線の力によることなく、街の魅力で人を呼び寄せることが求められる。次の時代に向けて、新しい上野駅像の模索が続けられている。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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