「松本人志」批判されても"圧倒的支持"3つの背景 ナイツ塙「松本さんはウォルト・ディズニーだ」

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もう1つは、若手コント師に“ネタやライブで生計を立てられる”という道筋を結果的に示唆した点だろう。

1980年代にレンタルビデオ店が全国区となり、家庭でVHS映像を楽しむことが当たり前になった。しかし、1990年代に入っても「お笑い」の棚はそこまで賑わうこともなく、松竹新喜劇、イッセー尾形、シティボーイズのように演劇的価値を含めて一定の評価を受けているもの、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)やウッチャンナンチャンなど若手の番組がビデオ化されて並んでいた。

しかし、1990年代中盤に『ガキ使』『ごっつええ感じ』がレンタルを開始すると、新作が出るたびに棚が広がっていったのを覚えている。人気が高いことから、複数同じビデオが置かれるためだ。その後、主流となったDVDの累計出荷数は、セルとレンタルの合計で『ガキ使』が500万部、『ごっつええ感じ』が100万部を超える大ヒットとなった。

テレビ以外の活路に光を当てた

一方で、松本は入場料1万円の『寸止め海峡(仮題)』(1994年開催)、料金後払い制の『松風'95』(1995年開催)といったライブ映像、また1998年~1999年にコント3部作『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』をビデオで発表するなど、テレビ以外の場所で独自性を打ち出していく。この点においても、お笑いに熱心な若者を啓蒙したと考えられる。

1990年代後半から若手芸人のネタやライブ映像が次々とビデオ・DVD化されていったことを考えると、松本がお笑いに作品としての価値があることを示し、「テレビタレント以外の活路に光を当てた」という見方もできるのだ。

とくに元ラーメンズ・小林賢太郎は、2000年代に入ってバラエティーではなく舞台や作家業を中心に活動しカリスマ的な人気を誇った。当時、こうした芸人は珍しく異端視されたが、小林の徹底したブランディングが功を奏し、単独ライブやプロデュース公演のチケットは毎度即完売。DVDも好調な売れ行きを見せた。

その後、『キングオブコント』で優勝した東京03やシソンヌ・じろう、ジャルジャルのように得意分野で活動する芸人が増えたのは、元をたどれば松本の存在が大きいと感じてならないのだ。

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