Netflixで「相撲」タブーに挑むただならぬ"覚悟" プロが集まる作品づくりに「ブレーキ役」は不要

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『サンクチュアリ』で人間の心の奥底の部分に反応した人を作品の中に引き込むと、脚本家の金沢さんと江口監督は易々と観る人を浮上させない。

「『ガチ星』と『サンクチュアリ』はどちらも金沢くんという脚本家で、終盤まで主人公が深い谷底から抜け出せないという設定は彼ならでは。僕も金沢くんも、どこにもないものをつくりたい思いが強いので、『ここまで浮上できないのか!?』という構成になっています。

僕は作品の盛り上がりをつくるとき、その山の高さには限界があって、山を高く見せようと思ったら、その前の谷をどれだけ深く掘るかが鍵になると思っています。その落差を大きくすることでダイナミックな盛り上がりを生むことができます。『ガチ星』では長く深い谷を掘りました。『サンクチュアリ』は尺が長いので、所々ちょっとした息継ぎスポットを入れながら、観る人が途中で離脱しないバランスを考えながらつくりました」

『ガチ星』や『サンクチュアリ』は深く潜っている時間が長い分、最後にやっと息が吸える「浮上感」は爽快感がひとしおである。

とことん粘るふてぶてしさ

かつて建築家のミース・ファン・デル・ローエは、「神は細部に宿る」と言ったといわれている。細部へのこだわりが、作品の本質を決めるという意味だ。江口さんは監督としてのアップデートを重ねる度に、細部のクオリティーを上げる術を身につけていく。

「歳をとって経験が増えたことで、各方面に対して、良い意味でふてぶてしくなれるようになってきました。それは、僕にとっては非常にプラスなことだと思っています。開き直った言い方をすれば、『もうベテランなんだから、妥協せずに撮らせて』というふてぶてしさです。そのせいか、最近よく『しつこすぎる』って言われるようになりました。粘りに粘る。極端に言えば、いい映像が撮れるまで粘る。最近は、粘れることは監督にとって最高の強さだと思っています。

そう言いつつ、実際は謝り倒していますけどね(笑)。『ごめん、さっきはこれで最後って言ったけれど、もう1回撮らせて、ごめん!ホントごめん!』って。でも、その結果、いいものが撮れたら、僕らはそれがいちばんの価値になると思っています。そこにしか、答えはないですからね」

映画監督・江口カンさん(撮影:今井康一)

妥協したらそれまで。江口監督は良い意味でのふてぶてしさを蓄え、作品の質を上げる粘りの力を生み出し続けている。

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