戦後に食べられた「ハンバーグ」その驚きの中身 米国文化の影響、戦後のベビーブームとの関係
戦前の代表的な挽肉料理といえばメンチボール(詳しくは前編を参照)。メンチボールの陰に隠れ、存在感が薄かったハンバーグ・ステーキが人気になったのは、戦後直後の1950年代でした。
“日本で、ハンバーグ・ステーキといふものが、好まれてる”
作家の獅子文六がハンバーグ・ステーキ人気に言及したのは、『主婦の友』1952年11月号所収「私の食べ歩き5」において。
フランス料理シェフ田中徳三郎が1954年に著した『家庭の西洋料理』では、メンチボールに代わり、ハンバーグ・ステーキが挽肉料理の代表例となっています。
そして“皆様がよく召し上がるハンバーグステーキ”と、ハンバーグ・ステーキの人気にも言及しています。
洋食店においてハンバーグ・ステーキが看板メニューとなったのは、1962年のことでした。
“洋食を扱っている店でハンバーグの置いてない所はない位どこにもあり、たいてい売上げ順位の上位を占めています”(『月刊食堂』1963年1月号所収 「万人をキャッチするハンバーグ」)
“洋風食堂で、ハンバーグ・ステーキを看板にしている店激増(著者注 1962年の出来事)”(『中国菜 第六号』所収 「明治・大正・昭和食物年表追補篇」植原路郎)
そして同じ年、1962年にマルシンハンバーグが発売されます。
アメリカ文化の影響で人気に火が付く
なぜ1950年代以降ハンバーグ・ステーキが人気となったのか。それは、連合国進駐軍を通じて流入した、アメリカ文化の影響でした。
“太平洋戦争後、占領軍としてきたアメリカの兵隊たちが、ハンバーグを好んで食べたのを日本人がまねて、メンチボールにとって代るハンバーグの全盛になった”(加太こうじ『江戸のあじ東京の味』)
“戦後、この伝統的な牛肉消費形態(著者注 すき焼き等)は大きく変わった(中略)次に普及したのは、アメリカから入ったミンチ料理とくにハンバーグである”(吉田忠 『牛肉と日本人』)
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