戦後に食べられた「ハンバーグ」その驚きの中身 米国文化の影響、戦後のベビーブームとの関係

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1980年に出版された児玉定子『日本の食事様式』によると、当時のアメリカ人は日常的にハンバーグ・ステーキを食べていました。

“外食でも、マーケットでも、それに家庭でもハンバーグステーキを食べるというケースが大衆の食事には多い”

現在のアメリカからは想像できませんが、ハンバーグ・ステーキはかつて、アメリカを代表する国民食だったのです。

外交官の妻としてアメリカ滞在経験のある料理研究家・飯田深雪は、1960年の『世界の家庭料理 5』のアメリカ料理解説において、次のように述べています。

“名前はドイツ式ですが、アメリカで若い人、庶民階級でもっともポピュラーな料理です。アメリカではどこのスタンドでも、食べているのをみかける料理です”
“量を多くするため、または柔らかくするために、パン粉や牛乳につけたパンを混ぜる場合もあります”

カメラマンの名取洋之助は、1936年にフォーチュン誌の企画でアメリカ横断撮影旅行に挑みます。その道中の食事は “普段はだいたいハンバーグ・ステーキかホットドッグ”というものでした(『アサヒカメラ』1950年9月号所収 「アメリカ撮影旅行の思い出」名取洋之助)。

1952年に日本交通公社が出版した『外国旅行案内』(第2部改訂版)では、アメリカ旅行の際に食べる料理として、“比較的アメリカ的なたべものをあげるなら、まずホットドッグとハンバーグステーキだろう”と言及しています。

かつてアメリカの国民食であったハンバーグ・ステーキ。連合国軍として日本に駐留したアメリカ兵たちを経由して、日本にもハンバーグ・ステーキの人気が波及したのです。

団塊世代への動物性タンパク質供給

連合国軍占領下の1947~1949年、日本史上最大のベビーブームが起きます。3年間で800万人以上の新生児が誕生。彼らは後に「団塊の世代」とよばれるようになります。

日本史上最大数の子どもたちの成長を支えるために、多量の動物性タンパク質を供給する必要が生じます。ところが戦後直後の貧しい日本においては、その選択肢は限られていました。

貧しい日本が自前で調達することができた動物性タンパク質が、クジラとマグロでした。

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