元日本代表・秋田豊、私財投じてクラブ社長の覚悟 スポンサー収入、観客動員数の引き上げに奔走

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元サッカー日本代表で、J3・いわてグルージャ盛岡の監督からオーナー社長へと転じた秋田豊氏(C)IWATE GRULLA MORIOKA

1993年5月15日のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)対横浜マリノス(F・マリノス)戦で産声を上げたJリーグも今年で30周年。当時、ピッチに立っていた選手たちはさまざまな人生を歩んでいる。30年前はサンフレッチェ広島の選手であり、現在は日本代表監督として2期目に突入している森保一監督などは成功者の筆頭だろう。

指導者への転身が目立つ一方で、クラブ経営に身を投じた人材も何人かいる。その代表格がJ3・いわてグルージャ盛岡を運営するいわてアスリートクラブの秋田豊社長。彼は「ジーコのハットトリック」で知られる1993年5月16日の鹿島アントラーズ対名古屋グランパス戦に出場した元鹿島のDFで、1998年フランス・2002年日韓と2度のワールドカップ(W杯)にも参戦。屈強な肉体を生かしたタフなディフェンスと打点の高いヘディングで一世を風靡した。

2007年の現役引退後は指導者を志し、J1・京都サンガや当時JFLの町田ゼルビアなどで指揮。2020年にはJ3のいわてで監督の仕事に就いた。そこで3シーズンを戦い、2年目にJ2昇格を果たすなど、一定の成果を残した。その彼は2022年末にクラブのオーナー社長に転じるという報が流れた際には周囲を大いに驚かせた。

「僕が社長と聞いてビックリした方も多いかもしれませんが、会社経営が初めてだったわけではないんです。2017年に㈱サンクト・ジャパンを立ち上げ、トレーニング用のゴムバンドの販売代理店の社長をしていた経験があったので、それほど戸惑うことはありませんでした。

クラブ経営に興味を持っていた

ゴムバンドのビジネスは当初、年商4000万円からスタートし、8000万円、1億円と伸びたところでコロナ禍に直面しました。営業は主に学校を回ってフィジカル強化やウォーミングアップ時にバンドを使ってもらい、サッカー指導もするといった形で、青森山田や尚志、修徳といった強豪校などに足を運びました。営業プラン作成や請求書の発行も自分でやりましたよ。自ら稼ぐビジネスの面白さや難しさを熟知していたので、クラブ経営にも興味は持っていました」と秋田社長は言う。

いわてで指揮を執った3年間も、当時のクラブオーナーであるNOVAホールディングスの稲吉正樹社長に対して、自ら考えるクラブビジョンや建設的な提言などを書面で出していたという。パソコンに関してもプレーヤー全盛期の27歳の頃から独学でスキルを磨き、パワーポイントでのプレゼンなどもお手の物といったレベルに至っていたので、容易にアクションを起こせたようだ。

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