舞浜駅「ディズニー開園」より開業5年遅れた背景 漁業の街が埋め立て地、そして「夢の国」へ発展

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それでも、浦安市は舞浜駅および周辺整備にノータッチだったわけではない。市は駅舎外装・交通広場・歩行者デッキ・取り付け道路・交通広場といった整備計画をまとめている。しかし、これらの大部分はJR東日本やOLCが所有していることもあって、浦安市は「要望している」との言及にとどめ、積極的とは言いがたい姿勢だった。

駅名においても、市はディズニーに最大限の配慮を見せている。1987年11月、浦安市は駅名を住民から募った。整備計画案の段階では西浦安駅という仮称だったが、公募の結果は1位が舞浜駅で282票、2位がディズニーランド駅で276票、3位が東京ディズニーランド駅で190票となった。1位こそ舞浜駅だが、2位と3位は、“東京”がつくかつかないかの違いだけで、ほぼ同名票といえる。そして4位以下にもディズニー関連が占めるなど、住民はディズニー関連の駅名を望んでいた。

それでも、市は「商標権の問題があって難しい」ことを理由に浦安舞浜駅をJR東日本に要望する。JR東日本は、隣駅が新浦安駅で東西線にも浦安駅があり、浦安を冠する駅名が乱立することはまぎらわしくなり、利用者も混乱すると難色を示した。そうした理由から、地名そのままの舞浜駅で決定した。

「舞浜」の名はどこから?

このように舞浜駅の歴史を紐解くには、どうしてもディズニーの内情に触れざるを得ないが、ディズニーに関する史料は内部事情を明かした記述が少なく、なぜ埋め立て地に舞浜という地名がつけられたのか?といった疑問についても、これまで謎の部分が多かった。

舞浜という名の由来についてはこれまで、「アメリカのディズニーが所在するマイアミのマイと西海岸を想起させるビーチを合成して舞浜にした」という説明がなされていた。この説は、浦安市が公式に編纂した市史やOLCの刊行物にも記述が見られる。

一方、史料調査が進んだ近年、浦安最後の町長で最初の市長でもある熊川好生が議会で舞浜の由来を「浦安の舞」から命名したと説明する議事録が発見された。熊川はディズニーを誘致した浦安発展の立役者だけに、議事録の発見はこれまでの説を大きく覆す要因になっている。

そもそも熊川が説明した浦安の舞とは何なのか。これは1940年の皇紀2600年奉祝臨時祭で考案された神楽舞のことだという。浦安は日本の雅称であり、1909年に誕生した浦安町もそれにあやかって命名されている。そうした経緯もあり、ここ数年で浦安の舞説が有力になりつつある。

1988年に舞浜駅が開業し、TDLの来園者はさらに増加した。この頃からOLCは後にTDSとなる第2パーク構想を始動。同時に舞浜駅前をディズニーシティとして開発する意向も表明した。

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