舞浜駅「ディズニー開園」より開業5年遅れた背景 漁業の街が埋め立て地、そして「夢の国」へ発展

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他方、日本誘致の立役者とされる京成電鉄社長の川崎千春は、積極的に誘致に動いていた。川崎は、京成と同じく千葉を地盤にしていた三井不動産の社長・江戸英雄とタッグを組み、さらに朝日土地興業からも協力を取り付け、3社で運営会社のOLCを設立した。これはOLCがテーマパーク経営の全責任を負い、ディズニーが金銭的なリスクを負わないようにするためだった。

舞浜駅周辺の道路
舞浜駅周辺の道路などはオリエンタルランドが整備したため、道路標識も一般のものとはデザインが異なる(筆者撮影)

ここまで京成や三井不動産が譲歩したのは、それ以前にも苦い経験を味わっていたからだ。京成は戦前期から谷津遊園など集客施設による沿線開発に着手し、需要の掘り起こしに努めていた。そして、それは戦後も続けられていく。その目玉がディズニーランド誘致だった。

京成は1950年代に多くの会社と合弁で千葉県柏市・我孫子市にまたがる手賀沼一帯にディズニーランドの誘致計画を立てる。これは手賀沼ディズニーランド計画と呼ばれ、千葉のみならず東京の政財界からの協力も取り付けることに成功したが、それでも誘致は叶わなかった(2019年1月10日付記事「ディズニーランド逃した我孫子の残念な歴史」)。再び浦安沖に浮上した計画は京成にとって再チャレンジでもあり、それだけに、絶対に失敗できないものだった。

水質汚染で漁業が不可能に

1950年代の千葉県は、主要産業を農漁業から工業への転換を進めていた。その端緒として、東京湾の埋め立て事業を東岸から開始。1951年、完成した埋め立て地で川崎製鉄(現・JFEスチール)の千葉製鉄所が操業開始した。これを機に、千葉県の東京湾沿いには製造業の大工場が並んでいく。そして、埋め立て事業は少しずつ東京に近づいていった。

こうして浦安沖でも埋め立て地の計画が浮上すると、旧来から主要産業であった漁業が危機に瀕する。沖合漁業なら埋め立てられても事業を継続できるが、浦安では海苔や貝の養殖といった採貝採藻漁業が盛んだったため、埋め立て地は容認できるものではなかった。漁師たちは漁業の継続を求めて猛烈な反対運動を展開していた。

反対運動は政府を動かすほどに社会問題化したが、思わぬ不運から漁師たちは漁業権を放棄せざるをえなくなる。1958年、東京都江戸川区で操業していた本州製紙(現・王子製紙)の江戸川工場から排出された廃液が東京湾の水質を汚染。黒い水事件として社会問題化した。黒い水は漁業にも影響を与え、浦安の漁業関係者は工場の操業を停止するように求めた。

工場は操業停止したものの、その後も東京湾の水質が改善することはなかった。こうして浦安の漁業関係者は漁業権を放棄せざるをえなくなり、埋め立て地の容認へと転じた。行政は廃業する漁師たちを救済する目的で、埋め立て地に鉄鋼団地を誘致。漁師たちの再就職地として機能した。

浦安の鉄鋼団地
浦安沖を埋め立てることで漁師の生計が成り立たなくなるため、浦安市は鉄鋼団地を誘致。再就職地として斡旋した(筆者撮影)
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