舞浜駅「ディズニー開園」より開業5年遅れた背景 漁業の街が埋め立て地、そして「夢の国」へ発展
その一環として、ディズニーリゾートラインの計画が動き始める。さらに千葉県や浦安市がOLCの株主として資本参加し、名実ともに舞浜駅はディズニー都市と化していくように思われた。
ところが、ここで問題が起きる。浦安は急速な都市化によって人口が増加。そのため、都市インフラを急ピッチで整備する必要に迫られていた。
ごみ焼却場や墓園といったインフラは生活に欠かすことができない施設で、その必要性は誰もが認めるところだが、自分たちの居住エリアに開設されると煙たがられる。そのため、早急にこれらを整備しなければならない浦安市は、居住者がいない浦安沖の埋め立て地に新たな墓園を計画した。その計画地はTDLに隣接していた。
OLCは事前に墓園計画を察知し、撤回するように動いた。夢を売るテーマパークの隣に墓園は相応しくない。OLCとしては当然の行動といえ、素早い対応で墓園は運動公園に計画変更されている。
しかし、これで一件落着にはならなかった。OLCが市に何の断りもなく動いたことに熊川が激怒。それまで良好だった浦安市とOLCの関係はギクシャクしてしまう。両者の関係は、1998年に熊川が市長を退任するまでギクシャクしたままだった。
ディズニーとともに発展する舞浜駅
こうした紆余曲折を経ながらも、2001年にTDSがオープン。TDLのオープン前は先行き不透明と見られていたディズニーのテーマパークだったが、オープン後は年を追うごとに舞浜駅の利用者が増えていた。
それはJR東日本にとっても喜ばしい話だが、一方で混雑が激化するという副作用を生んだ。その対策として、JR東日本は動線を分散する目的で舞浜駅に北口を開設する。しかし、乗降客の大半はTDRを目的にしている。北口の新設は混雑緩和に寄与しなかった。
その後もTDRの来園者は増え続けた。特に閉園間際の時間帯はホームの混雑が激しく、対策が求められた。JR東日本は混雑対策として、ホームの延長工事を実施。2022年にホームが長くなり、上りと下りで乗車位置をズラすことが可能になった。これにより混雑を緩和できたが、抜本的な対策にはなっていない。JR東日本は、今後も引き続き混雑対策を求められるだろう。
開業時から舞浜駅はTDRとともに発展を遂げてきた。TDRの人気にかげりは見られない。開業から35年間で舞浜駅は大きく変貌したが、今後も著しい変化が予想される。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら