でもその一方で、母は果敢にチャレンジを続けてもいたのだ。
ほぼ1日中万年床に横になる生活になってからも、何かの拍子に起きてきては、広告の紙をチリトリ代わりにして床の小さなゴミを集めようと(これはナイスアイデア! さすがわが母!)頑張り、料理をしていると弱々しい声で「手伝おうか?」と声をかけてきた。母にとって、家事をすることは人生そのものだったのだと思う。いろんなことがうまくいかなくなっても、やるべきことであり、そしてやりたいことでもあったのだ。
それは、日に日に縮んで消極的になっていく母にとっては、貴重な「生きる動機」だった。
そうなのだ家事って実はすごいことなんである。どんな小さなことでも、自分で自分のことができるということ。そして何かの役割を担っているということ。それは誰にとってもものすごく大事なことだ。というか、それがなければ人は本当の意味で生きていくことはできないのかもしれない。
出口のないつらい病を得た母に「家事」という生きる動機があることに、私は心から感謝した。でも一方では、それがうまくできないことが母を苦しめ、情けない思いをさせていたのだった。
いったいどうすればよかったのだろう。
っていうか、そもそももっと簡単に家事をすることはできないのだろうか?
問題は「家事」じゃなくて「欲望」
私は母に、そんな凝った料理を作らなくたっていいじゃない、ご飯と味噌汁と焼き魚で十分ごちそうだよと何度も提案した。母は「うん……」と頷いていたが、決して納得はしていなかったし、実行しようともしてなかった。
母の万年床の横には母が大好きだったレシピ本が置いてあり、昔よく作っていた凝った料理のページをいつも見ているのだった。でもそれを作ることは、母にはもう多分できないのだ。それでも頑張り屋の母にとっては、その凝った料理を作ることこそが「料理をする」ということだった。毎日ご飯と味噌汁と焼き魚なんて、それは母にとっては「料理」とは言えないものだった。
母はいつだって、もっとおしゃれな、気の利いた、日々違う料理を作ろうと頑張ってきた。それを否定することは母を否定することだったのだと、今になってわかる。
なるほど問題はここにあるんじゃないだろうか。
真面目で頑張り屋の母は、家事をあまりにも大変なものにしすぎていた。それはもちろん、われら家族のせいでもある。われらはそんな母の「完璧な家事」をいつも期待していた。日々ごちそうを食べること、膨大なものがいつも収まるべきところにきちんと収まっていることを、当たり前のように受け止めてきた。
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