「完璧な家事」をこなした母が病を得て気付いた事 暮らしが質素であったら、もっと楽に暮らせた

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朝起きて、布団を上げ、着替えて、ご飯を作り、盛り付けて、食べて、後片付けをして、洗濯機を回し、干し、たたみ、掃除機をかけ……という当たり前の家事を前に、母はいちいち立ち尽くすようになった。それまでは普通だと思っていたあらゆることが、「できない」という容赦ない事実に直面してみれば、それを側で見ていた私も、すべてが実は複雑な思考と判断と行動の連続で成り立っていたことに改めて気づかざるをえなかった。

例えば「ご飯を作る」と一言でいっても、それは超マルチタスクの連続なのである。

まず、前日に食べたものや残った食材や家族の好物などを勘案しつつその日の献立を考え決断するところから始まって、あちこちの食材庫をチェックして足りない材料を調べ上げ、それをメモして買い物に行き、広大なスーパーで目指す食材を的確に探し出し、帰宅してようやく調理開始。

さらにここからがまた実にヤヤコシイ作業の連続。ご飯を炊き、その間に複数のおかずを並行して作るには、切ったりゆでたり焼いたり味付けしたりというバリエーションに富みすぎた膨大な作業を、すべての進行具合に的確に目を配りつつ、状況に応じて頭を切り替えながらサクサクと行わなければならない。

なのに、週に一度の訪問のたびに、母の「できないこと」は1つ、また1つと増えているのだった。

買いに行く食材のメモは取るけれど、取ったことを忘れてしまう。調味料の何をどれだけ入れたか入れていないのか絶えず混乱する……想像したこともなかった混乱に直面するたびに、料理を作って食べて片付けるというただそれだけのことの途方もなさに眩暈がした。

敗北感いっぱいの顔で首をかしげる母

料理だけじゃない。洗濯もまったく簡単な作業ではなかった。全自動洗濯機があったとて、干し終えた物を下着、靴下、タオル、ランチョンマット、シャツ、ハンカチなど、多種多様な種類別、持ち主別に分類し、たたみ、家の中のあちこちに分散したしかるべき置き場所に収めるにはかなりの記憶力を要する。

無類のオシャレ好きだった母が、部屋中に散乱した服の真ん中で敗北感いっぱいの顔をして首をかしげる姿は、なんともやるせない気持ちになる光景であった。

つまりは母はどこをどう頑張っても、それまでこなしてきた「完璧な家事」を、とてもじゃないがこなすことができなくなっていった。精一杯トライはしていたのだ。でも母がやってきたことのハードルはあまりに高かった。母はそのうち、1日中探し物をするようになった。でもいくらひっくり返しても目当てのものは決して見つからず、家はくちゃくちゃになり、週に一度私が行くたびに母は「ごめんね、くちゃくちゃでごめんね」と寂しそうに笑うようになった。別によかったのだ。家がくちゃくちゃだって、母が元気でいてくれたらそれでよかった。

でも、人とはやはりそんな状況では元気じゃいられないのだ。自分のあるべき自分でいたいのだ。そして確かに家事が滞り生活が崩れていくと、母が母ではなくなっていくようで、それを見ている家族もつらかった。

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