養老孟司「成熟した人間の姿がわからない現代人」 なんでもネットに答えを求める人たちの末路
しかし、どんなに体に大切な栄養素でも、大量に摂ればいいというものではない。足りないと病気になるということと、摂れば摂るほど健康になるということはまったく別の話ですが、どうも育児でもそれと似た誤解が広がっていると思います。
養老:私はよく「現代人は『ああすればこうなる』と思っている」と言っていますが、社会全体に「何かに不足があったら、ネットの情報を〝投与〟すればうまくいく」というようなシステム化の原理が働いていると感じています。その原理に対して一番大きな齟齬(そご)が生じるのが子どもの問題ではないでしょうか。
高橋:まったくその通りです。養老先生のお言葉を拝借すると、育児において「ああすればこうなる」ということはないんですよね。
小児科医をしていると、日々向き合うのは、完治の見込みのない病気と闘っていたり、親の虐待から保護されて入院していたり、「ああすればこうなる」なんて方程式では括れない子どもたちばかりです。
でもそれは病院だからこその特殊な例ではありません。健康な子どもも、とりたてて問題のない一般家庭に暮らす子どもも、100人いれば100人、性格も状況もすべてが異なります。「ああすればこうなる」は誰一人当てはまらないのです。
それなのに親御さんたちの多くが、「正しい育児をすれば、将来、社会が求める正しい大人に育つ」という幻想を抱いている。しかも「正しい育児」の情報をネットに求めれば求めるほど、自分には実践できないような気がしてくる。子どもを産むのはやめておこうかと。少子化が進む原因は、その辺りにもありそうです。
他者との比較は個性を認めるのと逆方向
――ネットの普及が、よその子と比べることを助長している部分もありますね。
高橋:他者と比較するということは、つまるところ、「自分の子を、優秀とされる子どもたちのカテゴリーに入れようとする」ことにほかなりません。個性を認めるのとは逆方向の考え方ですね。
ネットの普及でその種の情報も「正しい育児」の検索範疇に入ってきています。こちらもやはり「負け続ける競争」にしかならない。学校内やクラス内で試験の点数を比べ合うくらいなら、まだ実感をともなうから勝ち負けがあってもいい。でも全国模試レベルになって、顔の見えない相手、つまり偏差値と比べっこを始めると、いつか必ず負けますからね。
他者との比較は避けられないとしても、見えない無数の敵、実像をともなわない相手と競争することは避ける。その点だけは気をつけたほうがいいと思います。
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