養老孟司「成熟した人間の姿がわからない現代人」 なんでもネットに答えを求める人たちの末路
養老:「自立」というのも大事な問題ですね。それが成熟の前段階に起こることなのか、同じと捉えるべきかはさておき、子育ては子どもの自立を邪魔するものであってはならないと考えています。
それは大前提として、では、何をもって「自立」とするか。最近、そんなことを考えていて、「自立の何たるかを示す典型例は夏目漱石だ」と気づきました。
ご存知の通り、漱石は文学論を書きたいと思って、30歳を過ぎてから、イギリス・ロンドンに留学しました。ところが大学で講義を受けても、本を読んでも、役に立たないと感じたといいます。そこにきて国費での留学ですから、何か成果を上げなければいけないという強いプレッシャーもあって、神経衰弱を来すまで落ちこんだのです。
そんな漱石が苦悶の末に気づいたのは、「自分の書きたい文学論は、講義や書物にはない。ゼロから自分で考えるしかないんだ」ということです。その瞬間、漱石は自立したんだと思いますね。
ここで私の言う「自立」は、自分はどう生きていくかを自分でつかみ、しかも社会に適応していく態勢と心構えが整うということです。翻って日本人の場合を考えると、20代後半くらいかなと思います。
精神的自立で重要なのは「読解力」
――成人の社会的自立、ということですね。
養老:もちろん子どもが自立していく過程には、いくつもの段階があります。最初は肉体的な自立。座る、立つ、歩く、走る、飛び上がる、物をつかむ、食べる、……日常的なさまざまな体の動きを覚えます。
次の段階が精神的な自立で、なかでも重要なのが「読解力」でしょう。以前、AIをテーマに対談した新井紀子さん(国立情報学研究所教授)が、著書『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』のなかで、興味深いことを言っていました。
彼女が定義する読解力――図表も含めたあらゆる言語化された情報を正確に読める力は、中学生のころに伸びる、というのです。なるほど、だとすると、人はそのころに「頭の自立」を果たしているのかもしれませんよね。
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