アラサーのための戦略的「人生相談」--「ゆでガエル」として生きるほうが、幸せでは?(その1)
子供たちに戦わない背中を見せて育てたのは誰でしょうか? 「戦うこと」を悪いこととして、教育してきたのは誰でしょうか? ケンカして帰って来た子供に、理由も聞かず「争いはいかん」なんて言っていたのは誰でしょうか?
今のアラサー以下は、生まれてからずっと「問題の渦中」にいます。上の世代、つまり、われわれまでのツケを払わされているんです。もう四半世紀も前に、「問題あり」とわかっていましたし、「何が問題か」もわかっていました。しかし、それはつねに先送りされてきました。
そういえば「モラトリアム世代」なんて言葉もありましたね。いつかは先送りできなくなり、問題が噴出すると分かっていたのに。それが21世紀になって、ついにやってきた。
ここで言う「問題」とは、個別の問題を指しているのではなく、いわば「社会システム全体」のことです。個別な問題に対しては、その時々に対応し、小器用に切り抜けてきましたが、構造的な問題には手をつけないままだったので、「このままじゃ済まないだろう」という認識はありました。
だから1980年代末のいわゆるバブル期に、「世界で最も成功した国、ニッポンはRising Sunだ」なんておだてられても、面映ゆくて仕方がなかったし、どこか居心地が悪かった。
そして「バブルがはじけた」ときは、「やっぱりな」と、どこかホッとして納得する部分がありました。そのあと経済の低迷が続いたときに小泉さんが、絶妙なタイミングで「構造改革!」と叫んだもんだから、中身をちゃんと吟味しないまま、皆が飛びついちゃったわけです。
問題はなぜ先送りされたのか?
今年の年頭に、『デフレの正体』というベストセラーを読みました。すばらしい内容で、現在までの経済政策がなぜ効かなかったのかがよくわかります。まさに「目からウロコ」です。
著者の藻谷さんが本文中で、「実は、ここに書いてある事実を指摘したのは私が初めてではない。10年以上も前に、Yさんという方が指摘されている」と述べています。Yさんとは経済産業研究所のフェロー同士として2002年にお会いして以来、親しくさせていただいているので、早速、「四谷でうまい野菜鍋食いましょうよ」と誘い出し、2月のある寒い夜に一席を設けました。