アラサーのための戦略的「人生相談」--「ゆでガエル」として生きるほうが、幸せでは?(その1)

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団塊世代とアラフィフ世代の違い

ご存じないでしょうけど、彼らは学生時代には、「Don’t Trust Over 30(30歳以上は、信用するな)!」と言っていたんです。まさに「変節の世代」です。

そこに続くわれわれは、「変節のカッコ悪さ」を目の当たりにし、「何かを信じる」ことが「裏切られること」につながることを恐れ、争うことをやめました。「信じているふりをしているけれど、信じていない」といった中途半端なことになってしまった。それが田中康夫さんの作品タイトル『何となくクリスタル』から名付けられた「何クリ世代」です。

あの本は、「ブランド名」がやたらに出てきて、欄外にブランドの説明がある、という特異な形式で議論を巻き起こしました。われわれは「ブランド」の存在は認めるけれど、心から信じてはいない世代です。
 
 クリスタルって、向こうが見えているようだけれど、はっきりは見えていない。「権威は信用しないけれど、存在は認めるよ」と。反抗はしない。なぜなら、信用していないからです。

団塊の世代は、「現状/体制」をいったん否定しましたが、その後、転向して体制に入っていきました。つまり現状を肯定していった。
 
 われわれは、一度も否定せずに、わが道を行くことにした。それは上から見ると「シラケ」の第一世代でもあります。しかし、結果としては現状の肯定に加担したので、偉そうなことは言えません。

なぜ、こんな世代論を長々と説明したかというと、団塊の世代は「現状の欠陥」に気づいていたのに、改革のエネルギーを若いときに使い果たしてしまい、改革に踏み切れず、ついに逃げ切ったんです。

今のアラフィフ世代、つまりわれわれは、逃げ切れませんでした。逃げ切る前に、問題点が現実化してしまい、改革に踏み切らなかったツケを払う第一世代になっていますが、仕方がありません。自業自得ですから。

でも、自分たちのことを棚に上げて、「今の若者は草食系で、覇気がない」なんて言う人がいます。よく言いますよねえ、まったく。

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