リー・クアンユーの政策は万能ではなかった 「アジア的価値観」は賞味期限切れ

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リーは、西洋に古来存在するステレオタイプのイメージ、「東方の賢人」を演じてみせるのがうまかった。英ケンブリッジ大学留学中に西洋文明から非常に多くを吸収したにもかかわらず、自らの政策についてはアジア的出自を強調することを忘れなかった。

リーは決して、西洋の自由民主主義が誤りだとは主張しなかった。ただ「アジア人」には向いていないと述べた。アジア人は、個人の利益よりも集団の利益を上に置く考え方に慣れていると主張した。生来、権力者に対して従順で、こうした傾向はアジアの歴史に深く根差す「アジア的価値観」なのだと主張した。

優れた政策もいずれ限界を迎える

シンガポールの民主化を進めていたら、今よりも効率を欠き、繁栄を欠き、平和でもない社会となっていただろうか。韓国と台湾は1980年代に民主化され、それぞれの独裁的資本主義に終止符を打った。それ以降、両国は非常に繁栄している。民主主義が日本経済に悪影響を及ぼしたということもない。

リーは終始一貫して、シンガポールのような多民族社会では、高い能力を持つ官僚が上から調和を押し付けることを前提としなければならないと述べていた。エリートを厚遇することで、汚職がはびこる余地を最小限まで狭めた。しかしそれには副作用もあった。シンガポールは効率的で汚職も比較的少ないかもしれないが、一方で不毛な土地となってしまった。知的な業績や芸術的な成果が生まれにくい国となってしまったのだ。

小規模な都市国家で、ある一時期有効であったにすぎない政策が、より大きく、より複雑な社会にとって有益なモデルとなるとは到底考えられない。資本主義と強権政治を組み合わせる中国の試みは、大規模な富の偏りを伴う腐敗の一大システムを生み出した。またプーチンは、自らの政策の社会的失敗、経済的失敗を覆い隠すため、極めて好戦的な国家主義に頼らざるをえなくなった。

それを思うと、シンガポールの滑らかに流れるハイウェー、摩天楼が屹立するオフィス街、磨き上げられたショッピングモールを賞賛せずにはいられない。しかしリーの遺産を評価する際は、金大中・元韓国大統領がリーに向けて書いた言葉に注意を払う必要がある。「最大の障壁は文化的な性向ではなく、独裁的指導者やその擁護者が示す抵抗だ」。

週刊東洋経済2015年4月18日号

イアン・ブルマ 米バード大学教授、ジャーナリスト

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Ian Buruma

1951年オランダ生まれ。1970~1975年にライデン大学で中国文学を、1975~1977年に日本大学芸術学部で日本映画を学ぶ。2003年より米バード大学教授。著書は『反西洋思想』(新潮新書)、『近代日本の誕生』(クロノス選書)など多数。

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