29歳で「子宮体がん」彼女が赤裸々に発信する中身 闘病、離婚、そして元カレとの再婚

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夫と夫の父親と3人で検査結果を聞きに行く。「私、死なないでしょう」と楽観視したい気持ちと、「死なないですか、私?」という恐怖が、彼女の心の中で交じり合い揺れていた。

子宮体がんで卵巣などへの転移もあり、ステージ4。医師からそう伝えられた直後、彼女は思わず担当医に「死なないですか、私?」と尋ねていた。担当医は直接答えず、こう返した。

「ステージ1で亡くなる人もいれば、ステージ4で元気な人もいます。一緒に頑張って治療しましょう」

子宮と2つの卵巣を全摘することがその場で告げられた。当時の彼女はアパレル店に勤めていて、病後には店長に昇格する。

「現実感が持てないまま、いのち最優先で、『とにかく生きれればいい……』としか考えられませんでした。『子どもはもう産めないんだ』といったようなことは、全摘手術と抗がん剤治療が全部終わって、仕事復帰した後に我に返ってから、ようやく思い浮かんだことでした」(ヒダノさん)

抗がん剤治療時に救われた同病者の言葉

全摘後に抗がん剤治療を始めた。ヒダノさんは従来使っていたインスタグラムで「#子宮体がん」などと付けて、顔出しで入院生活などについて投稿を始めた。当初は休職中で、同僚たちに自分の状況を知らせるため。

ところが、見ず知らずのがん経験者からも、「私も(同じ病気)です」とか、「今、(抗がん剤治療は)何回目ですか?」などのコメントが寄せられ始めた。

抗がん剤治療をしていた当時のヒダノさん(写真:ヒダノさん提供)

「経験者の方がすごく親身に、『私のときはこうだったよ』などのコメントもくれて、ありがたいと思いました。仲良くなった人たちとオフ会で会うと、当事者でなきゃわからない気持ちも理解してもらえて……」(ヒダノさん)

がんだから隠さなきゃいけない、という考えは当初からいっさいなかった。

抗がん剤治療終了後は、ブログを新たに開設して情報発信を続けた。抗がん剤治療中に同病者の励ましに救われた分、「自分の元気と経験を発信したい」とか、「自分も誰かの役に立ちたい」という気持ちが大きくふくらんでいた。

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