現実の経済にあっては、つねに労働者が搾取されているわけではない。資本家もしばしばカモられるのだ。例えば、生産の成果よりも大きな報酬を取ることで「働かないおじさん」と揶揄される一群の労働者は、あたかもなかなか償還されない高金利の社債のような存在として株主資本を搾取している。世の中の「食う・食われる」の関係は複雑である。
労働者だけが一方的に搾取される状況は、冷淡に言えば不完全競争の経済学の単なる1パターンだ。『資本論』で説明できるのは現代の経済の一部分にすぎない。ただし、その一部分があまりによく当てはまりすぎているのは昨今の問題ではある。
付け加えると、資本家は貪欲だが、儲けの機会が明らかにないのにそれでも利益を再投資するほどバカではない。そして、資本は金持ちの財産の一形態にすぎない。「資本は無限の増殖を求める怪物だ」という古いイメージを捨てたほうが経済の真実が見える。
資本は、無限に成長しないと生きていけないような、もろい生命体ではない。近年、内外で大量に行われている自己株買いや配当は、資本の量を調節する怪物のダイエット法だ。再投資されない資本は、お金持ちに消費されるだけのことだ。
「投資銀行モデル」をプロ経営者が継承している
構造がわかりやすいので「投資銀行モデル」と呼ぶことにするが、何らかの稀少性を作って資本家に自分の労働力商品を好条件で売り、その際に成功報酬型のオプション価値を獲得しておいてリスクを拡大するのは、労働者側が資本家をカモにする勝ちパターンの1つなので、とくにこれから世に出る若い人は覚えておくといい。
現在、投資銀行モデルは、金融ビジネスの各所に広がっている。元投資銀行マンだけでなく、主にアメリカ企業でだが、企業経営者が自分の報酬を拡大するための定石として広く使い始めている。
彼らは、「資本家の皆さん、あなたの会社を経営して企業価値を上げてくれる有能なプロがいないとお困りでしょう。プロでないと経営はできません。企業価値の増加分のほんの一部を成功報酬として払ってくれたら、私はあなたの会社を経営してあげます」という潜在的な口上とともに株式会社に食い込んでいる。
なお、起業したベンチャーをIPO(新規株式公開)する営みは、大衆投資家を相手とした、投資銀行モデルの利用方法の一変種にも見える。投資銀行モデルは、現代にあって大金持ちになるための有力なパターンの1つなのだ。今や、主流の方法だと言っていいかも知れない。
ちなみに、日本の経営者は、アメリカの経営者の高額報酬をうらやましく思っている。とくに上場企業の経営者たちは、アメリカには周回遅れであるし、しかも同業他社の様子を横並びで見ながらなのだが、着々と自分たちの報酬を上げ続けている。彼らがもっと派手に投資銀行モデルを使うようになるのは時間の問題だろう。
NISA(少額投資非課税制度)でコツコツと積み立て投資をしているような人も含めて、資本家の方々は油断しないことが肝心だ。
(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)
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