今の読者には古い話なので簡単に書くが、クレディ・スイスはアメリカのファーストボストンという投資銀行を1988年に買収して内部に取り込んだ。
一方のドイツ銀行は1990年代になって投資銀行ビジネスへの本格参入を始め、一時はあのリーマン・ブラザーズを買収するといううわさもあったが、外部から人や事業ユニットを取り込んで投資銀行部門を内製するアプローチを採用した。クレディ・スイスが先に斃(たお)れたのは、服毒量が多かったからかもしれない。
英国を含む欧州の証券ビジネスにあっては、1990年代になってからアメリカの投資銀行の攻勢・浸食が著しく、堅実な主にユニバーサル・バンク(銀行、証券、信託などを同じ経営体で行う銀行)を伝統としていた欧州金融界は、ユニバーサル・バンクの形はそのままに投資銀行ビジネスに力を入れることになった。スイス、ドイツ、英国、フランス、オランダなどの大手金融機関が相次いでこの路線に乗った。
なお、当時、ドイツ銀行の外部人材の大量採用は、投資銀行人材の特需を生み、もともと高かったこの業界の報酬水準をさらに高騰させるきっかけとなった。東京の外資系証券界隈でも、この恩恵にあずかったプレーヤーが結構いたはずだ。
「バンカー」の内情とは?
あらためて簡単に解説すると、投資銀行とは、自己資本も投入して株式・債券の引き受けや、M&Aのアレンジ、トレーディングなどで稼ぐビジネスを指す。
それぞれ大きなリスクを取り扱い、複雑な金融技術や法務に交渉などが絡むので、業界では高度な仕事だと考えられていて、プレーヤーの報酬が高い。彼らには、セールスに従事する証券マンをブローカーとして一段下に見る気風が若干ある。「バンカー」(=インベストメント・バンカー)などと自称したがるのはその表れだ。
クレディ・スイスにあっても、1990年代後半からのトレーディングの最盛期にあっては、例えば東京の証券ビジネスはトレーディングの執行と、仕組み債のような金融商品の販売部隊の機能を担う付随的な存在にすぎなかった。
一時の同社は、証券会社機能付きのヘッジファンドのような存在で、しかもバックには銀行の潤沢な資金があった。投資銀行プレーヤーにとっては銀行同伴でカジノにいるような好条件である。
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