梅原猛・哲学者--原発事故は「文明災」、復興を通じて新文明を築き世界の模範に
30年来、原子力発電の危険性を説き、反対を主張し続けてきた哲学者、梅原猛氏。今回の福島第一原発の事故をきっかけに、原発に頼らない新しい国をつくり、世界の模範となるべき--震災の被災地でもある仙台に生まれた梅原氏は、日本人の道徳心の高さに希望を感じつつ、これからの国づくりの方向性を語った。
今回の東日本大震災で、被災した方々の道徳心の高さ、生きていることを喜んで、互いに助け合って生きている姿を知り、日本の将来に希望を感じている。
ここ数年、一部の日本人の道徳心が堕落したことにより、動機のはっきりしない凶悪犯罪も起きていた。しかし、ほとんどの人々は、非常にしっかりとした道徳心を持っている。
仏教の徳が、日本の人々の心のどこかでいきづいているように思う。たとえば、思うようにならない天災を、「仕方がない」と受け入れ、逆に前向きに生きていこうとする。こうした姿勢は、大乗仏教の忍辱、つまり、精神的な屈辱や苦難に耐え、自分の道を貫くという考えからきている。日本のようなモンスーン地域では、しょっちゅう天災がある。このような地域で、自然とともに生きていくための知恵だ。一種のあきらめの精神ではあるが、日本の優れた文化でもある。
道徳心を失った政治家、企業の罪
このように一般の人々の道徳心が高い一方で、政治家、実業家、学者、芸術家などの多くが、道徳心を失っている。特に政治家は、金銭欲、権力欲にとらわれ、私的利益ばかり追っている。
また、スリーマイル島やチェルノブイリの反省も生かさず、今回福島でも事故を起こした原子力発電を推進している東京電力は、優良企業と呼ばれてきた。しかし、これはどこか間違っていたのではないか。
福島原発の事故の後に行われたドイツの州議会選挙では、反原発を掲げる緑の党が躍進した。今や、原発は日本だけでなく、世界の問題となっている。原発をやめさせようとする世界的な流れが起こっているのだ。とはいえ、原発を廃止するのもおカネがかかる。廃棄物処理の問題も残ったままだ。人間は、本当にやっかいなものをつくってしまった。
太陽エネルギー推進と生活の改善が大切
今回の事故は、あらためて近代文明の是非を問い直し、新しい文明を作るきっかけにもなるのではないか。まずは日本が率先して原発のない国を作り、それを世界に広げていくべきだと思う。
そのためにやるべきことは二つ。
まず、代替のエネルギーとして、太陽光エネルギーの研究をすすめるべきだ。これまで、原発を推進する研究に莫大な研究費を投じてきた。その研究費を、太陽光エネルギーに投入する。日本企業も京セラなどはこれまでも取り組んできたが、それ以外の企業も本気で取り組むべきだろう。
もう一つは、過剰なエネルギーを浪費するような生活から脱却すること。今原発が賄っている電力は全体の3割程度。太陽エネルギーによる代替とともに、一人ひとりが生活を改めることが重要だ。
スリーマイル島の時も、チェルノブイリの時も、国や東京電力は、日本の原発は絶対に安全だと言い続けてきた。しかし、日本の原発だけが安全などということはあるわけがない。今回の事故で、それが明らかになった。今こそ原発から脱却する新しい国をつくらなければ、必ずまた同じような事故が起こる。
福島第一原発の事故は「文明災」でもある
原発の事故は、近代文明の悪をあぶりだした。これは天災であり、人災であり、「文明災」でもある。
今回の震災について、石原慎太郎さんが「天罰」という発言をされたが、何の罪もない一般の人々が被害にあわれたこの災害に対して、「天罰」という表現は間違っている。もし「天罰」があるとすれば、それは道徳心を失った政治家、実業家に対して下らねばならない。
今も原発の現場では、自らの身の危険を顧みずに復旧作業にあたっている作業員の方もいらっしゃる。日本人には、本当に立派な人がいると感じる。こういう心を皆が持って、新しい国づくりをしていかなくてはいけない。そして、新しい日本が模範となれば、世界をも変えていけるのではないか。今こそ、経済力だけでなく、新しい価値観で世界に範を垂れる国をつくるときだ。
うめはら・たけし
1925年、宮城県仙台生まれ。京都大学文学部哲学科卒。立命館大学教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化センター所長などを歴任。『隠された十字架 法隆寺論』(毎日出版文化賞)、『水底の歌』(大佛次郎賞)など著書多数。近著に五木寛之氏との共著『仏の発見』(平凡社刊)など。
(聞き手:島 大輔 =東洋経済オンライン)
写真提供:東京電力
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら