こちらの図を見てください。これは現在、管理職に就いている人の属性を推計したものです。
やはり男性が多く女性は少数派ですが、子どももいる女性となると圧倒的な少数派となることがよくわかります。男性は子どもがいる人も多いですが、大半は専業主婦の奥さんがいるのではないでしょうか。
子ども・障害者・要介護者に対し、そのケアを担い責任を負うことを「ケア責任」と言います。この役割の多くは、家庭内でこれまで女性が担ってきました。
均等法前後は、さまざまな偏見やあからさまな差別で、ケア責任を抱えていなくても企業内で成長機会を与えられてこなかった女性も多かったと思います。でも、今、企業に勤めている女性たちがもっぱらつまずくのは、女であるからではなく、ケアを担っている、あるいは担うことになるという“予測”が立つからではないでしょうか。
意思決定層=ケア責任のない人という構図を変えるには
その点、たとえば、早々に子どもはいらないと決め、介護も抱えずに済みそうな女性、あるいは親や夫に全面的にケアを任せられる女性であれば、女性活躍推進の達成はそれほど難しくないかもしれません。
でも、それでは大したダイバーシティにはならないと私は考えています。介護も含めて考えれば、男女問わず誰かのケアをしながら働く人は、今後、劇的に増えていくはずです。その中で、ケア責任のない人たちだけが指導的地位に就き、世の中を動かしていくモデルで、はたしていいのでしょうか。
今、いちばん割を食っているのは、育児をしている男性かもしれません。ケアを担う男性への評価の“引き下げ幅”と影響が、女性が同じことをした場合よりも大きいからこそ、夫婦間で妻が「降りる」ことのほうが合理的になってしまう構造も、本の中で書きました。
そうしたことから、私は安倍政権が主張している「指導的地位に占める人のうち、女性の割合を3割にする」という目標ではなくて、「ケア責任のある人を3割にする」という視点を持たないと、ケア責任のない男女しか事実上、生き残れない企業社会の構造は、変わらないと考えています。
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