日本でインターネットをやるのは今でも大変 鈴木幸一×松本大「神田錦町時代」を語る
鈴木:その前に、僕は米国のDLJと一緒に、DLJディレクトSFG証券(現在の楽天証券)をつくったわけ。いくつかの証券会社に話を持っていきましたが断られまして。それで、西川善文さん(住友銀行頭取、当時)のところに持っていったら「面白いじゃない」と言ってくれて。それで住友グループ各社とうちとで、つくった。
松本:鈴木さんはひどいんですよ。僕が、もう「オンライン証券をつくろう」っていう話を鈴木さんとしているのにもかかわらず、あるとき、飲みに行こうと誘われると、面々がそろっている。いきなり皆さんに「大ちゃん、やってよ」って言われて。それが98年の11月か12月だったと思います。
「大ちゃんは出井さんより頭のいい人」
鈴木:そうだった。その前に、秋頃、出井(伸之・ソニー社長、当時)さんと飲んでいるときに大ちゃんを呼んだんだね。「出井さん、あなたのところの信用が欲しい。少なくとも大ちゃんは出井さんより頭のいい人だから」って紹介したんだ。あれでソニーと組むことになった。ソニーと組んだことで信用が付いたよね。
松本:本当に。ありがとうございます。
──それで、マネックス証券はソニーとの合弁会社として発足したわけですね。
松本:いろいろとありまして、結局、3月の終わりにフィフティ・フィフティで準備会社、フィージビリティー・スタディーをする会社をつくろうっていう話がついたんです。ところが、リークされたんですよ。「ニュースステーション」で小宮悦子さんが、「ソニーがオンライン証券を設立」と読み上げたんですね。でも、翌日の日経には作るのは僕である、という形で記事が出ましたけれども。
鈴木:なかなかソニーさん、うまくてね。
松本:そう。うまいんですよね。
でもね、振り返れば、本当に鈴木さんはうちのゴッドファーザーです。もともとインターネットの技術や刺激について、教えてもらったのも鈴木さんからですから。そして場所も借りて。出井さんも会わせてもらって。で、いろいろ、システムも最初、お世話になりました。会社をつくったときも、敷金払うと資本金がなくなっちゃうんでIIJのオフィスの一部を、又貸しで借りたんですよ。敷金の金利分だけを家賃に上乗せして払えばいい、とそんなことまでやっていただいて。
鈴木:当時、マネックスとDLJは、同じオフィスにいたんだ。
松本:2階と8階にいたんです。僕らが2階で、DLJが8階でしたね。
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