当然、これだけのめんどくさいルールを聞かされれば、
「本当は過去になんて戻れないんじゃないのか?」
と、勘繰る客もいる。
そんな時、数は涼しい顔で、
「そうかもしれません」
と、受け流し、言い返さない。言い争ったところで、結局、過去に戻る、戻らないを決めるのはこの喫茶店を訪れた客の自由だし、数自身、反論するのは、
(めんどくさい)
と、思っているからだ。
「君、小学生だよね?」
桐山ユウキ、七歳。
彼はピカピカの黒革のランドセルを背負い、
「少々、お尋ねしたいのですが」
と、小学生らしからぬ丁寧な言葉づかいで現れた。
有名な名門私立小学校の制服の半袖シャツから覗く両腕は、絹のように白い。ピンと背筋の伸びた立ち姿から育ちの良さが滲み出ている。まだ蝉も鳴かない六月下旬だというのに、外はすでに真夏のように暑い。涼しげな表情とは裏腹に玉のような汗をかいている姿は小学生らしく可憐であった。
「なんでしょう?」
仕事の手を止めて桐山少年の目の前に立ったのは、時田数だった。数の態度は大人であっても子供であっても変わらない。
「この喫茶店に来れば過去に戻れるという噂を聞きました。それは本当ですか?」
桐山少年は流れる汗を拭こうともせず、数を見上げた。
「君、小学生だよね? そんな噂、どこで聞いてきたの?」
口を挟んだのは、この喫茶店の常連客で、二年前に過去に戻った経験のある清川二美子である。
二美子の口調は桐山少年を完全に子供扱いしている。その問いかけは、
「まさか、過去に戻りたいなんて言い出すんじゃないよね?」
という意味を含んでいるように聞こえる。
これまで、この喫茶店に過去に戻りたいと言ってやって来た小学生はいない。もし、過去に戻りたいのであれば、最年少の訪問者となる。
しかし、過去に戻れば数の淹れたコーヒーを飲み干さなければならない。小学生にコーヒーは早すぎると二美子は思っていた。
「まだ、お父さんとお母さんが一緒に住んでいる時に、おじいちゃんからこの喫茶店の話を聞きました」
「え?」
桐山少年の返事に二美子は表情を曇らせ、その視線を数に向ける。
(まさか、ご両親が離婚したってこと?)
数は二美子の無言の問いかけを無視して、顔色ひとつ変えずに、
「はい。戻れます」
と答えた。
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