「自分だけ活躍してない」中年社員が抱く深い絶望 「東洋思想」から"苦境を脱する方法"を読み解く

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愛語(あいご)といふは、衆生(しゅじょう)をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛(こあい)の言語をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。
現代語訳:愛語とは、人々に対して慈しみ愛する心を持ち、愛情に満ちた言葉を用いることである。乱暴な言葉は慎むべきである。

相手に対する言葉遣いにその人の人間性が現れるという点は否定できません。

ビジネスシーンでは、「初対面の人」への接し方にも、こうした人間性が現れます。自分より上か下かを判断して態度を変える人。値踏みするような態度と言葉遣いで相手と会話をする人。そうした人は、逆に他人に執着していると言えないでしょうか。

反対に、他人にも自分にも執着のない人は、どんな人とも分け隔てなく、接することができます。

「自他不二」という立場に立てば、他人を愛するということは自分を愛することに他なりません。もし、他人を愛せず、嫉妬や嫌悪の感情があなたの中にあるとしたら、それは自分自身を認めることができていないからではないでしょうか。

まずは自分自身を肯定し、愛することから始めてみましょう。それが自信となり、自分の礎(いしずえ)となっていくのです。

どん底からはい上がるヒント

自分自身の得意な仕事のスタイルをしっかりと守ることも大事です。

不調になると、つい他人のやり方の方が良く見えてしまいますが、自分にはこれまで培ってきた独自のやり方があるはずです。他者を過度に意識すると、うまくいきません。

それを示すユニークな逸話が『荘子』に出てきます。

燕の国に寿陵(じゅりょう)という田舎町があった。

そこに住む若者が都会風の歩き方を学びたいと、大国である趙の都の邯鄲(かんたん)に行った。邯鄲でその歩き方を身につけようとしたが、まだ身につけないうちに帰国しなくてはいけなくなった。

歩いて帰ろうにも都会風の歩き方はまだできない。一方で、元々の田舎風の歩き方はすっかり忘れてしまった。そこで仕方なく故郷まで這って帰っていった。

一読するとおかしな話ですが、この話は自分のスタイルを崩すことによって陥る典型的な失敗のパターンを表しています。

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