バブル崩壊「総量規制」がもたらした大衝撃の記憶 いま振り返ると「住専問題」とは一体何だったのか

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住専は、都市銀行、信託銀行、地方銀行、生命保険会社、農林中央金庫などが出資母体となっていた。預金受け入れができないために、銀行借り入れや住宅抵当証券の発行などによって資金調達を行っており、貸出金利が割高となった。そのため融資審査が甘く、不動産向け融資に急傾斜したのだ。

1990年代初めのバブル崩壊後の地価下落と共に、不良債権が増大、回収不能の不良債権が住専全体で6兆4000億円にものぼり、1995年には、8社中7社が行き詰まった。

住専問題が進まなかった3つの理由

「住専問題」の構図は単純だが、その解決はそう簡単ではなかった。理由は3つある。

1つは、不良債権額が膨大であったこと。問題が発覚した1995(平成7)年には、住専8社中7社が行き詰まりの状態に陥っていた。回収不能の不良債権額が、住専全体で約6兆4000億円にものぼった。

2つ目は、公的資金の投入に批判的な声が大きかったこと。民間金融機関の経営の失敗を、なぜ税金で尻ぬぐいするのかと世論は厳しかったし、財政資金投入をめぐって国会は大荒れに荒れた。

そして3つ目が、住専には大蔵省OBが多く天下っていたことだ。そのため、大蔵省の担当官がその処理を先送りしたこともあって、問題を複雑化させた。

1990年代に入り、バブルが崩壊し金融危機に直面したのは、何も日本だけではなかった。しかし、その後の処理の仕方で明暗が分かれた。

例えば、スウェーデンでは、それらの金融機関を救済せず、破綻させるというハードランディング政策をとった。いったん銀行を国有化し、巨額の公的資金を注入して不良債権を一気に処理してから、再民営化するというハードな政策を実施したのだ。それにより、1~2年ほどは苦境にあえいだが、すぐにⅤ字回復を達成した。

同時に、明確な先端産業化を目指す産業政策を立て、「イノベーションに対する研究開発投資と教育投資」を増加させた。その結果、エリクソンなどの優秀なIT企業も誕生して新時代の扉を開くことができた。株価も現在では、1990年代のピークをはるかに上回っている。

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