バブル崩壊「総量規制」がもたらした大衝撃の記憶 いま振り返ると「住専問題」とは一体何だったのか

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バブル崩壊
今だから語る「バブル崩壊」の現場と教訓をお届けする(写真:Ystudio/PIXTA)
「平成は失敗の時代」と言われる。バブル崩壊以降、日本経済は落ち込んだまま。日経平均株価は1989(平成元)年に12月29日に3万8915円という史上最高値をつけて以来、いまだにその水準に戻っていない。
歴史は、必ず過去の出来事の影響を受けながら進んでいく。今の日本が直面している歴史的な円安や経済の低迷、企業の成長の鈍化、長期にわたる賃金所得の低迷も、必ず過去に理由があるはずだ。あの時、何があったのか。「バブルとその崩壊」を振り返ることが、その後の「失われた30年」の出口を見つけるために必要なのではないだろうか。
当時、金融界の中枢にいて、バブルの前夜から絶頂、崩壊と後遺症、そうした裏側を現場で見てきた大和証券の元常務取締役・恩田饒氏。氏はまた、MOF担(大蔵省担当)の経験から、官僚たちの素顔もよく知っている。その立場で見聞きした「バブル胎動からアベノミクスまで」のリアルな告白ドキュメント『実録バブル金融秘史』から一部を抜粋、再構成してお届けする。
まずは、土地バブル崩壊後に経済界を揺るがした「住専問題」を見てみよう。

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日本のバブルには、株の高騰と土地の高騰という2つの要素がある。証券会社の損失補塡や飛ばしなどの不祥事、それらが発覚したことによる首脳陣の辞任劇は、主に株バブルが崩壊したことが直接的な原因だ。そして、もう一方の土地バブルもまた、日本社会に大きな爪痕を残した。

バブル最盛期の地価の上昇は異常のひと言だった。東京の商業地の地価は、1986(昭和61)年と1987年には、それぞれ対前年比75%、37%の上昇と、今では考えられない、いわばパニック状態だった。日本一の地価といわれた東京の銀座5丁目の鳩居堂の地価が1坪1億5000万円になったと報じられたのもこの頃である。

株価のピークは1989(平成元)年末で、1990年に入ると株式バブルは収束したが、地価の上昇はその後も止まらなかった。

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