相鉄・東急直通で注目「新横浜」開発遅かった事情 開業後も長年「田んぼの中の新幹線駅」だった

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「ひかり」を停車させるように要望する横浜市の姿勢は、弱々しかった。なぜなら高度経済成長期の横浜市は人口が急増し、ベッドタウンの造成が焦眉の急になっていたからだ。その人口増は、高度経済成長期に庶民に浸透した持ち家神話の影響を強く受けている。持ち家神話により、多くのサラリーマンがマイホームを夢見るが、地価高騰により東京23区内は手が届かない。

六大事業のひとつだった港北ニュータウンの開発は、まさに東京のベッドタウンを横浜市が造成する政策だったが、住宅地と同時に鉄道網の建設とセットで進められた。これは後に横浜市営地下鉄(ブルーライン)という形で結実するが、最初の営業区間となる伊勢佐木長者町駅―上大岡駅間が開業したのは1972年で、新横浜駅まで延びたのは1985年。さらに、港北ニュータウン内への延伸は1993年まで待たなければならなかった。

新横浜駅北口
新横浜駅の正面ともいえる北口。市営地下鉄の駅も北口側にある(筆者撮影)

市営地下鉄の新横浜駅開業は、東海道新幹線・横浜線の新横浜駅が開業してから21年後ということになる。ここまで時間を要したのはなぜなのか? その理由はいくつかある。

当初の横浜市は、横浜駅から新横浜駅までを直線的に結ぶことを計画していた。しかし、路線の予定地となる周辺住民が地盤沈下や崖崩れなどを懸念して猛烈に反対した。この反対を受け、市は有識者による調査会を発足させる。そして、改めて迂回ルートの選定を進めていくことになった。

地下鉄が開業しても進まなかった開発

先の反省を活かして、調査会は公道の下に地下鉄を建設することを第一にした。しかし、今度は法律の壁が立ちはだかる。調査会が決めたルートで建設すると、三ツ沢下町駅―三ツ沢上町駅間で国道1号の下を走らなければならない。市営地下鉄は、地方鉄道法を準拠法に建設されていた。公道の下を走ることは道路を走ることと同義と解釈され、この場合は軌道法に準拠しなければ建設に支障が出ることが予想された。

最初の開業区間となった伊勢佐木長者町駅―上大岡駅間も、同じように公道の下に建設されている。その際は問題にならなかったが、高度経済成長期に各地で地下鉄計画が持ち上がると、そうしたことが問題視されるようになっていた。幸い、運輸省・建設省から理解を得られたため、地下鉄延伸は地方鉄道法のまま建設が進められた。

だが、ようやく地下鉄が新横浜駅に達しても、すでに横浜市は港北ニュータウンの開発を優先する決定をしていた。そのため、ニュータウンが一段落するまでは新横浜駅周辺の開発に着手できなかった。

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