犠牲者は10万人規模のおそれ、厳しい状況認識を持ち長期的支援体制を
戦後最悪の災害となった東日本大震災。3月13日から26日まで福島県いわき市や宮城県気仙沼市で医療活動支援にあたった、永田高志医師(日本医師会救急災害医療対策委員会委員、九州大学病院救命救急センター特任助教、姫野病院勤務)に、被災地での医療支援の状況について聞いた。
--現場の医療支援活動の状況はいかがですか。
いわきでの支援活動のあと、3月24日の朝に気仙沼に入りました。日本医師会災害支援活動(JMAT)としては支援を被災地にランダムに送るのではなく、拠点ごとに集中して支援を投下する必要があると考えています。気仙沼はそのひとつで、私は適正な支援をするための情報収集の役割もありました。
気仙沼には東京医師会をはじめ、関東の大学病院など各地域からの支援チームが入り、気仙沼市民病院を拠点に医療活動を展開しています。東京医師会のチームが中心に、統率力を持って支援活動を円滑に運営していると感じました。
大震災発生から約2週間たって、もっとも厳しい時期は脱しつつあるようです。しかし、10日以上たった24日でも、気仙沼から仙台に向けて患者さんを広域搬送する必要があるなど、これまでの災害時にはこれだけ時間がたって広域搬送を要することはなく、それだけ状況が厳しいといえます。
気仙沼の厳しいところは、市街地が広範囲に被災し、医療活動にあたるべき地元の医師・医療関係者も被災してしまったことです。まずは、地元医師が自らの診療所を立て直さなければ医療活動に携われません。地域医療のことは地元の医師がもっとも知っています。患者さんもかかりつけの医師のほうが安心です。徐々に活動は回復していますが、通常であれば、外部からの緊急支援は、徐々に地元の医療機関に引き継いでいくのですが、こちらでは2~3カ月は外部の支援が必要になると思います。
--これから必要になる医療活動はなんでしょうか。
いま懸念していることのひとつは、医療支援が届いていない場所が多数あるということです。三陸地域は小さな集落が広範囲に点在しています。今の体制ではこうした小さな集落を回りきれていません。これを解消する必要があります。
今回、私は通常の緊急災害支援時の2倍の期間にあたる約2週間活動をさせてもらいましたが、それでも広大な被災地に対して何も出来ていないという「ある種の無力感」を感じています。
もうひとつ、日常の薬を届ける必要があることです。2週間が経過し、日常的に飲んでいる薬が切れてしまった人が増えています。こうした被災者たちを探して薬を届けていかなくてはなりません。
避難所の環境もとても危惧しています。過密、衛生状態により、インフルエンザや胃腸炎を起こすノロウイルスなど感染症が懸念されます。