「"桃鉄"を教育で活用」発案者が語るゲームの凄み 「子どものゲーム」に悩む親に欠けている視点

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よく大根に例えるんですけど、学校の先生がキラキラする瞬間って、大根を調理してるときなんですね。その調理を奪っちゃ駄目で、大根は大根のまま提供しましょう、と。

それを使って、ブリ大根にするか、おでんにするかは現場の先生次第。完成されたものを先生たちに提供しちゃうと、おいしい、まずい、つまり、役立つ、役立たないの二択でしか考えられなくなる。

大根を大根のまま提供すれば、それが仮にまずかったとしても、どう調理すればおいしくなるんだろうと考え始めることができます。先生たちのクリエーティビティー能力はもともと高いという前提でいるので、余計な味付けはせずに、できるだけ素材のまま渡しましょうということをコナミさんのほうにもお願いしたんですね。

もちろん、教育版はオリジナルにはない、いくつかの仕掛けはあるんですけど、実はゲーム版とそんなに差はないんです。

勉強は「楽しい」を切り口にスタート

──ゲームを教育に取り入れる良さってどこにあるのでしょう?

エンターテインメントがすごく豊富な時代になっているので、何かを始めるきっかけというのは、「楽しさ」しかないと思っています。学力神話みたいなのも崩壊しかけてるじゃないですか。それこそAIがスタンフォード大学の問題を解いてしまったり。僕たちが勉強している意味って何だったんだろうという世界観の中で今の子どもたちは生きています。

ただ、今も昔も変わらないことは、子どもたちの行動原理は「楽しい」、ここに尽きるんです。僕たち世代が、なんで嫌だと思っている勉強に向き合うことができたかというと、それなりの対価が得られるということがあった。もう1つは、それ以外ですることがあまりなかったというのも大きいと思います。

でも今の子たちは暇をつぶすアイテムが多すぎるので、勉強せずにほかのことをしたいという感情があまりにも簡単に生まれてしまうのです。そうすると、勉強の切り口は「将来役に立つよ」では全然駄目で、「楽しい」をスタートにしていかないといけないと思うんです。

その点、ゲームは「楽しい」というところをメインに作られているコンテンツなので、非常にそこと相性がよかった。

止まった駅やその周辺の特産品、観光地、史跡などを表示。興味関心に合わせて、楽しみながら学ぶことができる(画像:コナミデジタルエンタテインメント プレスリリース)

──子どものゲームで悩んでいる親も多いですが。

まず考えなければいけないことは、親世代は、あまりにもゲームをひとくくりにしすぎている、ということです。デジタルデバイスを持って、ピコピコしてたらそれは全部ゲーム、と思っていませんか? 定義が非常にふわっとしているんですね。

しかし、その定義は子どもの概念にはないんです。例えば、学習アプリを、大人はゲームと捉えるけど、子どもはこれを勉強と捉えている。

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