「壮絶な卒業試験」38年戦う武藤敬司が今語ること レスラー、経営者…「3つ以上の顔を持つ男」の軌跡
「プロレスが、持っている潜在能力ってすごいじゃん。PRIDEは競技というか、競技を追求するのは大変だけど、それってスポーツなんだよね。プロレスは、競技やスポーツじゃなくて『格闘芸術』だから。プロレスは、5カウント以内なら反則が許されるとか、普通のスポーツではあり得ないところが面白いわけであって。答えがないから無限大の可能性を秘めているんだよ」
経営者として自分を殺しながら咲かせた、武藤の遺伝子
「プロレスLOVE」を掲げた武藤は、2002年に全日本プロレスに移籍し社長に就任。2013年に独立して、WRESTLE-1を旗揚げした。
しかし、レスラーと経営者との兼ね合いは想像以上に厳しかった。例えば、武藤が長年にわたり酷使していた膝の手術で長期欠場すると、集客もスポンサー確保など経営面で大きく落ち込んだ。武藤の影響力で保っていた団体は、存続が厳しく活動停止を余儀なくされてしまう。
苦くてつらい経験もあったが、経営者の自分を振り返ると「蒔いた種が至る所で芽を出して、花を咲かせようとしている」と武藤は語る。
「経営者として大変苦しい決断やレスラーとして自分を殺さなきゃいけない時もあったよ。本来レスラーは自分のことだけ考えてればいいわけだから。でも、経営をしていると選手を発掘して育てるというテーマに直面するんだ。それで全日本のときは、武藤塾というオーディションをやったり、WRESTLE-1では、プロレスの専門学校を作ったりしていた。
それが今では、あの時に出会った選手が俺の遺伝子を受け継いでいろんな団体で活躍している。経営者を通じて選手を発掘し育成した経験は、プロレス界にとって意味のあることだった」
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