さて、京都へ引っ越すことになった日のこと。なにもかも引き払って、さあ車に乗ろうというその瞬間。東国の家に置いていかれる、菅原孝標女が作った薬師仏がそこに立っていた。
年ごろ遊びなれつる所を、あらはにこぼち散らして、たちさはぎて、日の入りぎはの、いとすごくきりわたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ち給へるを、見捨て奉る悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。
<意訳>長年遊び慣れた部屋が、外から丸見えになるくらい御簾や几帳を取り外される。みんなわいわいと引っ越しの準備をしていた。やがて日が沈むころ、一面に霧が立ち込める。車に乗ろうとするとき、ふと家の方を眺めてみた。すると、今まで誰もいないときにこっそりお参りしていた薬師仏が立ってらっしゃったのだ。――見捨てて、ごめんね。悲しくなった、人知れず少し泣いてしまった。
文学少女らしいエピソード
引っ越しの際に、感情移入して泣く相手が薬師仏というのも、妄想力たくましい文学少女ならでは。想像力豊かな様子が伝わって来る話だ。この薬師仏のエピソード、なんとも文学少女らしくて、私は大好きなのである。
さて、そんなわけで都会へ引っ越すことになった菅原孝標女。その道中の描写は、「平安時代の貴族ってこんなふうに移動していたんだ!」と資料として面白く読めるものになっている。現代ならば新幹線ですぐに移動できてしまう関東・関西間の移動も、平安時代の人々にとっては大仕事だ。
さて、菅原孝標女は都会で無事『源氏物語』を読むことができたのだろうか。次回(2月8日配信予定)は引き続き、都会へ向かった彼女の日記を読んでみたい。
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