明治時代に現在のスカイツリーラインが開業した頃は、まだいまの荒川は影も形も存在していなかった。あったのは、くねくねと蛇行している隅田川(当時の荒川)だけだ。そのときは、北千住駅の北側で西に曲がってほぼ一直線に北西へ。いまの西新井―竹ノ塚間のカーブに至るまでは、まっすぐに通っていた。
ところが、荒川放水路の整備にあたって東武と常磐線の交差地点がちょうど放水路の真上になってしまう。そこで線路の付け替えを強いられて、1923年にいまのルートが完成した。小菅・五反野・梅島の3駅はいずれも新ルート上の駅であり、1924年に開業した“新線三兄弟”というわけだ。
旧線路の跡地は神崎さんの言葉通り、ほとんどが道路になっている。北側が亀田トレイン通り、南側が梅田通りという。そして亀田トレイン通りを少し西新井方面に進むと、リライズガーデン西新井という巨大なマンション群が見えてくる。旧線と現在の線路に挟まれたこの三角形のマンション敷地は、かつて東武西新井工場だった場所である。
「西新井工場もそうですし、ほかにも日清紡ですとか、線路の西側にはいくつも工場があったんです。反対の東側はずっと住宅地だったんですが、西側は下町の工業地帯。日清紡の工場には引き込み線もあったようですね」(神崎さん)
工場が巨大マンションに変貌
「その跡地に、いまはマンションが次々にできまして、ここ10年くらいでだいぶ変わりました。歩いているとおもしろいですよ。工場があった頃からの町並みと、新しいマンションのエリアと、それがはっきりとわかるんです。商店街がたくさんあるのも、工場や従業員の社宅があったからではないでしょうか」(神崎さん)
日清紡の工場は2002年に操業を停止、いまは巨大なマンション群と商業施設のアリオが入る。2004年に廃止された東武西新井工場は先に書いたとおりにマンションだ。この一帯を歩くと、マンションがどーんと存在感を示したと思えば、その脇には小さな戸建て住宅地のエリアが続く。そしてそのスキマには商店街だ。
「商店街は、駅前だけではなくて駅から離れたところにもたくさんあるんです。大型商業施設やスーパーが比較的少ないので、商店街が多い。どこもにぎやかですよ。それに、特徴的なのが銭湯です。足立区内全体では、実に25軒ほども銭湯があるんです」(神崎さん)
銭湯というと、フロなし住宅に住んでいる人が多かったご時世には地域のインフラ、そして交流拠点であった。いまではフロなし住宅はさすがに少なくなったので、生活に必須なインフラとはいえなくなった。が、反面昔ながらの銭湯を巡る楽しみを持つ若い人が増えた。サウナブームも手伝って、東武鉄道も足立区とともに沿線の銭湯のPRを行っているという。
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