防衛費増額による真の代償が「増税」ではない理由 「今を生きる世代」が分かち合うべき負担の正体
このように、資本主義における政府は、貨幣をいくらでも創造できる。政府の支出に資金的な制約はない。よって、政府は、防衛力を強化するにあたって、増税を行う必要はない。政府が債務を負って貨幣を創造し、財源とすればよい。そして、政府債務を増やすことは、将来世代への負担の先送りにはならない。政府債務の償還のために、将来の増税は必要ないからである。
このように、「有識者会議」が前提とする「①防衛力の強化に必要な財源を確保するためには、増税が必要である」という主張は誤りである。
したがって、増税に反対したからといって、「自らの国は自ら守るという当事者意識がない」とか、「将来世代にツケを回している」とかいった非難を受けるいわれはないのである。
防衛力強化が国民に強いる「真の負担」
それでは、防衛力の強化にあたって、今を生きる世代は、何ら負担を共有しないでよいのだろうか? 自らの国は自ら守るという当事者意識など、なくてもよいのだろうか?
答えは、否である。
確かに、政府は、防衛財源を確保するために、増税をする必要はない。資本主義における政府はいくらでも「カネ」を創造できるのだから、「カネ」の制約は受けないのである。しかし、「カネ」の制約は受けなくとも、「ヒト」や「モノ」といった実物資源の制約は受ける。
言うまでもなく、防衛力を強化するために必要な実物資源、例えば自衛隊員などの「ヒト」、あるいは兵器や基地などの「モノ」の供給量には、限界があるからだ。「カネ」は無限だが、「ヒト」と「モノ」は有限なのである。
したがって、政府が債務を増やして貨幣を創造し、それを使って防衛力を強化していくと、いずれ「ヒト」や「モノ」の供給の限界にぶつかる。要するに、防衛需要が過大になって、供給が不足するのである。それは、高インフレという経済現象となって現れる。
例えば、戦時下の国民が高インフレで苦しむのは、軍事需要が供給能力をはるかに上回ってしまうからである。
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