郷ひろみ、時代に「必死にしがみついてきた」境地 変わらないでいるから、変わり者と評価される

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(写真:大平晋也)

──郷さんはとても美肌ですが、美容に関してはいかがですか?

:実は全然気にしていないんです(苦笑)。自分の生き方が、自然と見た目にも影響すると思っているので、つねに前向きでいることが、美容の秘訣なのかもしれないですね。僕は、嫌なことがあっても「しょうがない」と忘れるタイプ。起こったことを引きずるよりも「こんなこともあるんだ」と切り替えたほうがいいのかなって。

プライベートでも「郷ひろみ」でいたい

──ストレスは感じないのですか?

:僕は怒ったこともないですからね。ストレスを感じないのですよ。

──ひとりになって、悶々とすることはないのですか?

:逆にひとりでいるほうがつらい。周囲の目があるほうが楽なのです。だって、視線があれば簡単に自分を「郷ひろみ」にすることができるから。ひとりのときは、もうひとりの自分が「これでいいのか?」と問いかけてきそうな気がして嫌なんですよ。だから、プライベートでも「郷ひろみ」でいたい。自分には、それがいちばん合っていると思います。

──つねに「エンターテイナー」でありたいと。

:でも、10代の頃はそういう気持ちにはなれなかったですね。たくさんの「つまずき」を経験して、ようやくたどり着いた境地というか。ただ、この生き方を皆さんに強要するつもりはないですよ。それぞれに異なる境遇があって、それぞれに正解の生き方があるから。

──これから、どんな年齢の重ね方をされたいですか?

(写真:大平晋也)

:向かっていく道は漠然とは見えています。自分のなかでの「郷ひろみ」はとても魅力的な存在で、それに近づこう、遅れたくないとつねに思いながら活動をしている。そのためには、今後も変化を恐れてはいけない。でも、40代のヴォーカル修行で、3年かけてようやく自分が望む変化を得られたように、変化や進化はすぐに手に入れられるものではない。

たとえ思うような進化を遂げられなくても、日々1歩ずつ前進しようという気持ち。それを大切にしながら活動を続けたいですね。(文/松永尚久 写真/大平晋也)

● 郷ひろみ
1972年8月にシングル「男の子女の子」でデビュー、1974年にリリースした「よろしく哀愁」で初の音楽チャート1位を獲得。その後も「2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-」(1984年)、「言えないよ」(1994年)、「GOLDFINGER’99」(1999年)など、ヒット曲を量産。2020年に発売された105枚目のシングル「ウォンチュー!!!」で、昭和、平成、令和の各時代でトップ10入りを果たすという快挙を成し遂げた。
https://www.hiromigo.com
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