一発でわかる「頭のいい人」の特徴的な話し方 「だから何?」と言われる人に欠けている視点
前者の内容に比較という行為は存在しません。ただ単に年商という事実を述べただけです。しかし後者は違います。「好調です」はこの1億円という事実と何か他の事実を比較しているからこそ生まれるメッセージのはずです。昨年の年商との比較かもしれませんし、同じ業界の競合他社との比較かもしれませんが、いずれにせよ比較しなければこのような意味づけはできません。
どちらがどうか、という引き算の重要性
ではここから、比較という行為の本質を数学的な視点から解き明かしていきます。結論から申し上げると、私には次のような価値観があり、比較というものをすべてこのように捉えています。
比較とは、引き算である。
例えば私の年齢はこの原稿を執筆している時点で46歳です。おそらくあなたはいまこの瞬間、ご自分の年齢と比べたのではないでしょうか。そして「自分よりちょっと年上だな」とか「ほぼ同年代なんだ」などと思われたはずです。それはつまりご自分の年齢と比較してその差を明らかにしたことになり、数学的には引き算をしたことに他なりません。結果、あなたは私の年齢に対して意味づけをしたことになります。
先ほどの会社の年商1億円が好調であるというメッセージは、その1億円という数字と、何らかの別の数字を引き算した結果です。これは決して数字が入った話だけに言えることではありません。例えば次のような表現の違いもまた、比較という行為の存在によって生まれるものです。
「この麻婆豆腐、いままで食べたものの中で一番美味しい!」
どちらの方がその「美味しい」の意味が正しく伝わるかは言うまでもないでしょう。このように事実だけを伝えるのではなく、その事実の意味を伝える必要がある場面においては、比較という行為が極めて重要になります。
ではここで私がある公の場で話した「数値化の本質」というテーマのエッセンスをご紹介します。まずは次の文章をざっと流し読みしていただけますでしょうか。
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