科学技術が進化しても、宗教はなくならない理由 神に人間が服従するのは理不尽な幻想なのか

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人間と神の関係が逆転する現象は、キリスト教に限りません。多くの宗教では、「神」とされるものが、人間を超えた強大な力をもつからです。ギリシアの神々、ユダヤ教やイスラム教の唯一の神なども、人間を超えた絶対的な力をもち、人間を支配すると考えられています。しかしながら、そうした神を作ったのは、人間に他ならないのです。

宗教は悲惨な人間に必要なアヘンなのか?

人間が神を作ったのに、それに服従するとすれば、何とも理不尽な幻想のように見えます。だとすれば、人間が目を覚ませば、宗教は消えてなくなりそうに思えます。

ところが、フォイエルバッハが「キリスト教の本質」を暴露した後でも、宗教の力は衰えません。どうしてでしょうか?

その理由は宗教という幻想を必要とする人間が、多くいるからです。フォイエルバッハの主張を受けて、マルクスは次のように語っています。

宗教という悲惨は、現実の悲惨を表現するものであると同時に、現実の悲惨に抗議するものでもあるのだ。宗教は圧迫された生きものの溜め息であり、無情な世界における心情であり、精神なき状態の精神なのである。宗教は民衆の阿片なのだ。(『ヘーゲル法哲学批判序説』)

こう述べた後、マルクスは「民衆に幻想の幸福を与える宗教を廃棄することは、彼らに現実の幸福を与えるよう要求することだ」とつづけています。ポイントは、「宗教はアヘンだから、廃止しよう」というわけではありません。

しばしば誤解されますが、「宗教はアヘンだから、使うのをやめよう!」と主張するのではありません。むしろ、アヘンを使わざるをえない=宗教を信じる現実の状況こそが、問題なのです。

というのも、宗教の幻想を払いのけよと叫んでも、宗教の幻想を必要とする人々がいれば、ほとんど効果がないからです。したがって、何よりもまず、現実の悲惨な状況を変えることが必要になるわけです。これは、薬物依存症の場合も同じでしょう。

しかしながら、人間にとって、現実の悲惨な状況を変えるのは、簡単ではありません。それに、マルクスのように悲惨な状況が社会的なものだけとは限りません。パスカルによれば、人間は死に直面する死刑囚と同じ条件に晒されています。

とすれば、人間が悲惨な状況から逃れることはなさそうです。今まで宗教を信じなかった人が、死に直面したとき神を求めることはしばしば起こります。だとすれば、宗教が消滅しそうもないのは、言わずもがなと言うべきかもしれません。

岡本 裕一朗 玉川大学 名誉教授

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おかもと・ゆういちろう / Yuichiro Okamoto

1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)は、21世紀に至る現代の哲学者の思考をまとめあげベストセラーとなった。ほかの著書に『フランス現代思想史』(中公新書)、『12歳からの現代思想』(ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ヘーゲルと現代思想の臨界』(ナカニシヤ出版)など多数。

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