科学技術が進化しても、宗教はなくならない理由 神に人間が服従するのは理不尽な幻想なのか
ここで「疑いえない」と言われていることを、直ちに宗教と結びつけることはできませんが、宗教の基本的な態度である「信じること」が人間にとって根源的であることは理解できると思います。そのため、「信じること」がなくなれば、「知ること」そのものが成立しなくなるのです。「産湯とともに赤子を流す」という諺がありますが、「信じること」を排除すれば、同じことになりそうです。
宗教は人間の本質であるか?
今度は、「信じる」という態度から、宗教という現象へ向かうことにしましょう。そもそもどうして人間は、宗教を生み出したのでしょうか。
19世紀に『キリスト教の本質』を書いたフォイエルバッハによれば、キリスト教で信仰されている神は、実は人間自身に他なりません。つまり、人間が宗教において神の本質と見なすものは、人間自身の理想化されたものなのです。
たとえば、「神は全知全能である」と言われたりしますが、この「全知全能」が人間の理想の投影であるのは、理解するのにそれほど難しくないでしょう。こうしてフォイエルバッハは「神が人間を作ったのではなく、人間が神を作った」という有名なテーゼを語ることになります。
このとき、宗教を説明するため、「疎外」という観点が導入されます。その意味は、「自分自身から疎遠になること」なのですが、人間と神の関係において、奇妙なことが起こります。人間が自分自身の本質を神へと対象化するとき、神は豊かで強大化するのに対して、人間は貧困化し、小さなものになっていくのです。
こうした疎外された関係が、人間と神のなかにでき上がってきます。
宗教では、人間は無力で、取るに足りないものとなるのですが、逆に神の方は全知全能で、何でもできる強大な能力をもつことになります。人間が神を作ったにもかかわらず、その神にひれ伏し、服従するという逆説が生まれてしまいます。
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