科学技術が進化しても、宗教はなくならない理由 神に人間が服従するのは理不尽な幻想なのか
宗教に対して、しばしば批判されるのは、それが科学的に論証されない思惑だと見なされる点です。宗教で神について信じていても、はたして「神が存在するのか?」論証できないと言われつづけてきたのです。
逆に、「神が存在する」を論証したなどと言おうものなら、オカルト的な心霊主義と見なされてしまいます。こうして、宗教とは、科学的に証明できないものを、いわば迷信のように信じることだとされるのです。
「信じる」ことは論証されていなくても、きわめて重要
しかし、こうした言い方は、注意しなくてはなりません。「信じる」ことは論証されていなくても、きわめて重要だからです。たとえば、オーストリア出身の哲学者ヴィトゲンシュタインは、亡くなる直前まで書いていた『確実性の問題』のなかで、次のように述べています。
こうした「信じること」の対極に立つのが、「疑う」という態度です。近代哲学の創始者デカルトは、真実を手に入れるために、すべてを徹底的に疑うという方法的懐疑を遂行しました。そのために、彼は、他人から教えられた知識や、感覚を通して受け取った知識、数学などの理性的な知識も、いったんはすべて疑うことにしたのです。
ところが、ヴィトゲンシュタインは、疑うことができるためには、まず学ぶことが必要であり、そのためにはさらに信じることが前提される、と考えています。つまり、デカルトのように疑うためには、あらかじめ信じていることが必要なのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら