偏差値25から大学受験、不登校の僕が選択した道 中1の5月から不登校になって学んできたこと
それ以来、いろいろなゲームをやるようになりました。そのうちにネットで出会ったゲーム仲間から「eスポーツをいっしょにやりませんか」と声をかけていただくようになったんです。ゲームの世界に自分の居場所ができたんですね。そうしてeスポーツの選手としての世界が開けてきたのが、ちょうど中学2年生の終わりごろです。
――新たな居場所を見つけたんですね。そのときも親御さんは応援してくれましたか?
はい。親はゲームを否定することはまったくありませんでした。ただ、僕の声がやたら大きいので、「うるさいよ!」とほぼ毎日怒られていましたけれど(笑)。でも、ゲームそのものをやめなさいと言われたことはありません。もしゲームを取り上げられていたら、やっと見つけた居場所がまた奪われてしまうことになるので、親に対する不信感がすごく大きくなっていたでしょうね。
その後、僕は北海道にある北星学園余市高等学校(以下「北星余市高校」)へ進学しました。それまで所属していた中学は中高一貫ですから、エスカレーター式で進学することもできました。でも不登校のまま進学するのがなんとなく気まずかったんですね。北星余市高校なら、不登校出身の子も多いとのことでしたし、中学の勉強からやり直すことができると思いました。
進学後は下宿での一人暮らしになります。それはいいのですが、1つ誤算がありました。田舎の下宿だったので、回線が悪く、eスポーツの試合中にログインできなくなることが頻繁にあったんです。これはもう無理だなと思って、一度、選手は辞めて運営側を手伝うことになりました。プレイヤーから裏方になったわけです。すると新たなゲーム友だちもできて、eスポーツをガチでやるというよりは、楽しくゲームをやろうというふうに自分のなかでゲームとのつき合いが変わっていきました。
転機となった、高校での出会い
高校では自分にとって大きなターニングポイントがありました。「ハッシャダイソーシャル」という若者支援の活動をされている勝山恵一さんとの出会いです。勝山さんが講演でいらしたときに、いろいろお話しさせていただく機会がありました。勝山さんに進路について聞かれたので、「やりたいこともないので、なんとなく大学へ行こうと思っています」と伝えました。そしたら、「大学へ行ける環境なら行ったほうがいい。できるならがんばって勉強してトップの大学を目指したら?」と言われて。
最初は「何言ってるんだ、この人」と思いました。今まで勉強なんてほとんどしてこなかったですから。でも不思議と興味を持ちました。もし本当にトップの大学に合格できたら、これはすごいことだ。やらなかったらきっと後悔する、と。それで勉強をすることに決めました。