偏差値25から大学受験、不登校の僕が選択した道 中1の5月から不登校になって学んできたこと

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それからはまったく学校へ行かないまま、1年生は終わりました。その後もすこし登校した時期はあったものの、基本的に中学3年間は不登校のまま卒業しました。

言い合いから仲よくなった

――親御さんの対応はいかがでしたか?

やっぱり最初は学校へ行かせようとしていました。でも僕は苦しくて部屋から出られないこともしょっちゅうで、毎日のように揉めていました。あるとき、何かをきっかけに激しく言い合いをしたことがありました。内容はおぼえていませんが、自分が抱えていた気持ちを全部ぶつけたように思います。そしたら、それがきっかけとなって親も僕を理解してくれて、逆に仲よくなったんです。今では母親と2人で旅行へ行ったりするくらい仲がよいです。

親の対応で僕がすごくうれしかったのは、何かを言ってもらったとかではなくて、親の行動が変わったことです。

まず、学校へ行かせようとしていたのがなくなり、見守ってくれるようになりました。そして自分が興味を持って「やりたい」と言ったことを全力でサポートしてくれるようになりました。「パソコンでゲームをしたい」と両親に言ったときも、父親がパソコンを買ってくれましたし、「アメリカに野球留学をしたい」と言ったときも、行かせてくれました。自分を肯定してくれているというのが伝わってきて、ありがたかったですね。

――アメリカに野球留学ですか。それは不登校中に?

そうです。学校へ行けなくなったことで、野球部への未練がすごくあったんですね。あこがれでしたから、やっぱりあきらめられなくて、退部届は出していない状態でした。それで不登校中、母親がロサンゼルスで10日間の野球留学をするプログラムがある、と教えてくれました。アメリカの文化にふれながら楽しく野球をしようというものです。

アメリカでの野球は、すごく楽しかったです。そしてそれが、野球部への未練を断ち切るきっかけにもなりました。というのも、アメリカで野球をしながら、どうしても部活でしていた野球と比べてしまうんです。1年生はボールにもさわらせてもらえず、先輩たちも怖くて、人間関係もきつかった野球部。アメリカで野球本来の楽しさを知ったあとでは「もうあんなところ、行く必要ないな」と吹っ切ることができました。

そしてもうひとつ、不登校中に出会ったものがあります。eスポーツです。eスポーツによって、僕は野球の代わりに別の生きがいを見つけることができました。

あるとき友だちが「コールオブデューティ」というゲームをやっていたので、「それ楽しいの?」と聞いたら「うまくないとおもしろくないよ」と言われて。当時はゲームが下手だったので、すごく悔しかったんですね。「こいつより絶対うまくなってやろう」と思って、ユーチューブで上手な人の動画を観ながらやりこみました。

わりとすぐにうまくなって、ネット対戦でも負けないようになりました。そんななかで、eスポーツの世界を知ったんです。世界中のゲームの猛者たちが集まって試合をやっているのを観て、「なんだこれは。すげーおもしろいじゃん」と思いましたね。

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