しかし、多くの人は、外国人旅行客が日本にあふれることを喜ばしいことだと思って歓迎した。それによって、売り上げが増加するからだ。
いまでも、そう考えている人が圧倒的に多いだろう。そうした人たちは、1日も早く渡航制限が完全に解除されることを望んでいるだろう。
1980~1990年代には、これとちょうど逆のことが起きていた。
日本が豊かになり、普通の人でも海外に旅行できるようになった。そして、欧米の豪勢なホテルに泊まって、買い物ができるようになった。
また、日本の経済力が強くなったので、日本で勉強し、日本語を勉強して日本で仕事に就きたいと望んだ外国人が増えた。彼らは、日本の大学に留学してきた。
あるいは、日本経済を研究するために、日本の大学に滞在したいという学者も増えた。日本の高い生活費を払っても、それが価値あると考えられたのである。
これは、大変誇らしいことだと私は考えていた。
しかし、上に述べたように、2013年以降の来日外国人旅行客の急増は、日本が貧しくなったことの表れだったのだ。
「安い日本」に対応した人材しかいない
日本が貧しくなるとともに、人材が劣化した。
それを象徴するのが、論文数の低下だ。
文部科学省の科学技術・学術政策研究所が8月に公表した「科学技術指標2022」によると、研究内容が注目されて数多く引用される論文の数で、日本は3780本。スペイン3845本、韓国3798本に抜かれて、過去最低の12位に転落した。なお、1位は中国(4万6352本)、2位はアメリカ(3万6680本)。日本は中国の12分の1だ。
さまざまな国際比較ランキングでも、日本の人材の質が低下している。
日本の給与が低いのは、生産性の低さからだと指摘される。こうした状況で、賃金が上がるはずはない。
日本には「安い人材」しかいなくなった。いや、そうではない。正確にいうと、本当は能力があるのに、いまの日本の社会構造のために、それを発揮できないのだ。多くの有能な人材が、潜在能力を発揮できずに安い賃金に甘んじている。
これは、「安い日本」におけるもっとも深刻な現象だ。
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