では、次の第2の成長とは何か。それは、庶民の時間が余るということである。
第1の成長と同じに見えるが、まったく違う。逆側である。すなわち、庶民は家事労働などから解放され、農作業の時間も増やし、賃金を得ることのできる外での労働時間も増やし、所得を増やした。さらなる技術進歩による必需品の効率的な生産がさらに進んだ。この効率化により、さらに庶民の時間が余った。
そして、余暇が生まれた。娯楽、レジャーの誕生である。庶民が、かつての国王、貴族のぜいたく、ブルジョワのぜいたく、それにならって、余った時間を消費活動に費やすようになった。エンターテインメント消費が誕生した。
これで消費が爆発した。庶民までがぜいたく品を消費するようになった。つまり、技術革新により必需品の生産の効率化が進み、時間が余り、第1には労働投入時間の増加となり所得を増やしたが、第2には、余った時間をぜいたく消費に充てるようになり、消費が増大したのである。
まず供給力が増え、次に需要が増えたのである。ここに成長は加速した。これがアメリカの20世紀の成長であり、日本の高度成長である。
「新しい」が価値そのものになった
しかし、これはオイルショックで止まった。必需品生産の効率化、必需品の技術革新による進歩が一巡して終わったのである。
いや、本来は、さらなる必需品の技術進歩も、物理的、技術的には可能だった。しかし、それは経済的には合理的ではなかった。なぜなら、すべての人々がぜいたく品の消費を始めたからだ。ぜいたく品は好奇心をひきつけ、目新しさが欲望を刺激したからだ。
新しいぜいたく品、イノベーションという名の下に、次々と新製品を売りつけるほうが手っ取り早く売れた、儲かったからである。必需品はみなが経験済みである。だから、本当に進歩しているか、必要な新製品か、誰にでもわかるから、ごまかしが利かない。役に立つ技術進歩が難しいのである。
一方、新しい製品は、要は新しければよかった。役に立たなくても、エンターテインメントだから、必要でないものであり、ただ楽しむもの、物欲を満たすものであればよかったから、生み出すのは簡単だった。
ここに広告やマーケティングが発達し、ブランド戦略が発達した。差別化というのが、企業の最も重要なキーワードとなった。必需品であれば、差別化というものは存在しなかった。差は関係なく、絶対的に役に立つかどうかがすべてであったからだ。
これが、現在の第3の経済成長段階である。次から次へと新製品が生み出され、「新しい」ということが価値そのものとなったのである。
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