東大と京大、数学入試に見た「求める学生」の違い 総合力の東大、未熟でも自己表現を求める京大
また、東大が数理としての本質を抽出する力、つまり複雑な設定や誘導の意図を正しくつかみ、自分でそれらを利用できるかを求めるのに対し、京大は論理としての表現力、つまり自分が行っていることを正しく表現できているかに主眼を置いています。
東大は問題そのものを表現する力や読み取る力を求めるのに対し、京大は読み取ること自体は易しいが、その後自分で行っている内容に関してはきちんと表現ができていることを求めています。
実際に自分の生徒の過去問の添削などを行っていると、東大では取れていると思っていたのに失点しているという答案は非常に少なく、計算ミスなどで答えがずれていたり、題意の取り違えによるものが多いので答えを見たタイミングで生徒自身も間違いには気付いているものが多いです。一方、京大は答えが合っていて、本人も自信満々な問題でも、論証が壊れていて点数がないことも多いように感じます。
「完成された学生」の東大、「可能性持つ学生」の京大
こういったことから、端的に言うなら、東大は「高等学校卒業時までに要求されるレベルで完成された学生」を求めているのに対し、京大は「これから先研究者としての可能性を持つ学生」を求めているように感じます。確かに東大は市民的エリートの育成を第一に考えていますし、そういった意味でも高校卒業段階での市民的エリートを選抜したいのでしょう。
また、京大は卓越した知の創造・対話を根幹とした自学自習を基本理念に挙げています。確かに解答量を制限されることなく書いてある先がわかれば答案冊子から拾い上げるという採点は、答案を通して受験生と対話しているかのように思えます。ここからもわかるように将来自分の考えをしっかりと相手に伝えられる素地を見て、選抜しているのでしょう。
よく言われることですが、能吏を求める東大、天才の育成に力を入れる京大、というニュアンスもうかがえます。
どちらの大学がいいという話ではないですし、志望校は自分の学力を見て判断するというよりは、行きたい大学、やりたい内容に学力を合わせていくのが理想です。私自身は京大出身ですが、実際に京大のほうが自分に合っていたと思いますし、やはり受験というものは自分が納得のいく教育方針の大学に入るのが一番だと思います。
少し長くなりましたが、私自身が普段数学を教えながら感じる東大と京大の違いについて述べてみました。今後東大や京大を受験する学生が志望校を決めるうえでの一つの判断材料になれば幸いです。
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